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山本五十六氏 戦争について語る
皆さんご存じとは、思いますが
アメリカと第二次世界大戦を開戦した時の連合艦隊司令長官です。
まあ、開戦当時海軍外線部隊の最高指導者なんで戦争推進論者
だと勘違いされてる方も多いかと思いますが
最後の最後まで、アメリカとの開戦を阻止しようとした方なんですね。
まずは、1940年4月11日 地元長岡で
「伸びきったゴムは役に立たない。今の日本は上から下まで、全国の老人から子供までが、余りにも緊張し伸びきって、それで良いのか」
ってアメリカとの国力の違いを強調してるんです。
1940年9月15日海軍首脳会議にて調印に賛成の方針が決定した日
「内乱では国は滅びない。が、戦争では国が滅びる。内乱を避けるために、戦争に賭けるとは、主客転倒も甚だしい」
って至極全うな意見を吐き去ったんです。
1940年9月27日、日本は日独伊三国同盟に調印した日
「内乱では国は滅びない。が、戦争では国が滅びる。内乱を避けるために、戦争に賭けるとは、主客転倒も甚だしい」
凄く全うな発言ですね。
内乱は国内 戦争は海外 ですから(西南戦争だって内乱ですよ)
同日友人の原田熊雄に
「全く狂気の沙汰。事態がこうなった以上全力を尽くすつもりだが、おそらく私は旗艦「長門」の上で戦死する。そのころまでには東京は何度も破壊され最悪の状態が来る」
wikipedia
なんかね。予言めいてますね。
(まあ戦死したのは、ブーゲンビル島上空で搭乗機が撃墜されですが)
これは、当時の総理大臣であった近衛文麿が書いた『近衛日記』に記載されているのですが、近衛に日米戦争の場合の見込み問われた山本は
「それは是非やれと言われれば初め半年や1年の間は随分暴れてご覧に入れる。然しながら、2年3年となれば全く確信は持てぬ。三国条約が出来たのは致方ないが、かくなりし上は日米戦争を回避する様極極力御努力願ひたい」
ここまで、きてもまだ反対してたんですよ!!!
で、ここが大事
近衛文麿は、総理大臣
山本五十六は、連合艦隊司令長官
変ですね..文民統制(シビリアンコントロール)はいずこってね
無論、その当時は文民統制なんて無かったですが..
井上成美は戦後この時の山本の発言について「優柔不断な近衛さんに、海軍は取りあえず1年だけでも戦えると間違った判断をさせてしまった。はっきりと、『海軍は(戦争を)やれません。戦えば必ず負けます』と言った方が、戦争を回避出来たかも知れない」と述べている。山本は嶋田繁太郎に宛てた手紙で近衛との面会について「随分と人を馬鹿にしたる如き口吻にて現海軍の大臣と次官とに対し不平を言はれたり 是等の言分は近衛公の常習にて驚くに足らず。要するに近衛公や松岡外相等に信頼して海軍が足を地からはなす事は危険千万にして誠に 陛下に対し奉り申訳なき事なりとの感を深く致候御参考迄」と論じている
もう、必死なんですよ!!!
何しろ 1919年~1921年までアメリカ留学しアメリカを知ってますから。
てな訳で、ちょっとWikipediaから主要部を引用させて頂きました。
まあ、今の日本の現状とちょっと考えていたければとね
戦争の無い世界を願います。
その為にも、抑止力は必要だと思う次第でして
はったりでも、いいんです。
抑止力なんか使ったら戦争突入ですから!!!
抑え止める力 ですよ!!
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