今更はじめる

かたちになるものを残すということはとても大事なことだ。30代後半以降になると、良きにつき悪しきにつき、もうやり直せないというか、やり直したところで期待する結果まで時間がたりなかったり境遇がそれを許さなかったりすることが出てくる。
昨年父が鬼籍に入った。父は根はいい人なのだが、自己実現欲求が高く計画が苦手で選民思想というか根拠のない自信のある人だった。自分も色濃く血を継いで苦しんでいるが、生きづらい性格だったと思う。そして昭和らしく呑む打つの激しい人でもあった。子供であった自分にも小さな頃からかなり不要な絡みをされた印象がある。
その気性ややることがあまりに荒唐無稽だったため、母の定年のタイミングで愛想を尽かされ、1人になってしまった。その頃にはもう父ともかなり疎遠になっていた。
そんな中、もともと糖尿病で白内障でもあった父が電車とホームの隙間に落ちて怪我をしたと聞き、久しぶりにあった。しかしその頃には僕の記憶に一番残っているエネルギーに溢れた父ではなく、据えた匂いを放ちながら足を引き摺っていた。人間には死の匂いというものがあると感じたのはあの時だった気がする。
見かねて、父にヘルパーをつけたり配食サービスをつけたり、施設に入れたりしたが、あっという間に逝ってしまった。5年前は頭もしゃんとしていて会話もできて歩けていたのに呆気ないものだ。

あまりいい思い出もなかったが、最近になって元気だった頃を見たいと思って父の動画を探した。しかし、きちんと生きている時間の記録はほぼなく、津波のような喪失感と今までとは違う死生観が込み上げてきた。
やはりできるうちに形に残せるものは残しておいた方がいい。

僕がDJをはじめたのは、当時のライブハウスシーンに未来を見出せずクラブでLIVEをやれるようになりたいからだった。今になって考えれば、ライブハウスも色々あったからフィットできるところもあったのかもしれないが、エレクトロニックミュージックやダンスミュージックのシーンに入れたこと、10年以上の間、大小のクラブでDJをやらせてもらえていることを考えると正解だったように思う。まさかSebastian MullaertやMax Cooperをはじめとする海外の素晴らしいアーティストと共演したり、石野卓球さんやマリンさんと出演者として楽屋で話すことになるとは思わなかった。
そんなDJ活動の最中、バンドは(現在のバンド、その恣意と結成まで)うまく組めないまま、ずっと手をつけたいと思っていたはずの楽曲制作活動はうまく進まないままでいた。
そんな中、我がパーティークルーOURO8OROS(ウロボロス)のメンバーjukimaruの曲に参加することになり、ようやく世の中に自分がアーティストとして参加した楽曲が残ることになった。そしていつか来るのではないかと思っていたが、蛇崩という自分のDJ/アーティスト名義と同じ名前のバンドが今月リリースしていた。
男前な緩めの下北っぽいオルタナバンドで素敵だった。
とっとと頑張って先に出しておけばよかったと今更思うが、できてないからにはそういう運命だったのだろう。もともと「海外で漢字のメタは出ないからリリースの時のアーティスト名義はアルファベットにしよう。そのまま『JAKUZURE』は字面がきにいらないからアレンジして『jyakzure』にしよう」と考えていたし、これを機にリリースだけはアルファベットに、DJ名義は今までのこともあるので引き続き蛇崩でいこうと思う。
少しずつではあるけど、jyakzureもその恣意とも形を残していきたいなと前にもまして思う今日この頃。
もうすぐ夏が終わる。

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