花丸は時間をかけてもらうからこそ最高のご褒美なんだ
花丸ってね。簡単にもらえるものじゃないんだ。
毎日、毎日、頑張って、頑張って、やっとの思いでもらえる花丸の嵐。
花丸のプリントたくさん手にもって、鼻高々な息子。
「だって、あんなにがんばったもんね。」
書けた字に対しての花丸じゃなくて、花丸をもらうために頑張った時間に花丸をもらった、そんな気がした。
***
学校からもらう毎日の国語と算数の宿題。
最初のころは、毎日気合たっぷりにプリントに向き合ってた息子。
算数はいつも花丸だった。
国語は?なかなか花丸もらえなくて。
「〇〇ちゃんはね、いっつも花丸なんだよ」
すごいなぁと羨ましく思っている様子の息子。ほんのちょっぴり悔しそう。どうやったら花丸もらえるんだろうねって親子で話してた。
息子だってすごくがんばってる、でも、ひらがなって意外と難しくて。息子のひらがな見ながら、
「あれ?わたしも花丸もらえる字、書けるかな?」
と考えさせられる日々。それほど、先生は、キチンと正しいひらがなを書けた子に花丸をあげているようだった。
4月、5月、6月…だんだんと疲れてきたね。息子からそんな様子が感じられた。
でも、息子は頑張った。
「コレ、花丸もらえる字かな?お手本に似てる?」
そのわたしからの問いかけに、
「うう~ん、似てない!」
そう言って、消しゴムでごしごし消した。泣きそうになりながら消してる日もあった。頑張って書いた字を消して、書き直す。
「どう?これで出してみる?」
「なおす!👦」
また、ゴシゴシ。息子にとって一番上手だと思える字が書けるまで、ゴシゴシ消しては書き直し…それを繰り返した。
だから、いつも、綺麗な真っ白のプリントが、ちょっとよれっとなったプリントになっていった。だけど、そこに書かれている字は、少しずつ誇らしげに、かっこよくなっていく。
何十枚も提出してきたひらがなのプリント。
「〇〇ちゃんはね、いっつも花丸なんだよ」
そう羨ましがっていた息子。
「花丸ほしいよね。でも、毎日頑張ってるから今にもらえるよ!」
次こそは!と丁寧に丁寧に、宿題と向き合う日々。
いつも息子の最高の1枚を提出するようになった。
そしてついに!
今週になって花丸だらけのプリントが3枚手渡された。
「見てよ、見て!」
「わぁ!すごいね!花丸ばっかりだね!頑張ったことにもらえた花丸だね👏」
ほしかった花丸の嵐…嬉しいよね。息子は飛び跳ねて喜んだ。
大人のわたしですら、花丸もらえるかな?と思うほど、キチンと見てくださった先生、先生のおかげで花丸をもらえた喜びはひとしおだったようだ。
ただ「あ」とか「や」とかひらがなを書けばいいわけじゃない。
丁寧に、正確に、文字の形を意識して書くこと。そのために、書いては消し書いては消しを繰り返して、時間をかけて仕上げること。
花丸は、ただ「できた」よりも「できるようにがんばった」その努力にもらえる最高のご褒美。
「つぎも花丸もらえるようにがんばる!」
やる気に燃える息子を見て、ひとつの花丸の重みを感じた。
わたしだったら、「あ」が書けたら、簡単にあげてしまっていたかもしれない花丸。
でも、プロである先生は、しっかり見てくださった。
先生はきっと、毎日クシュっとなった消し跡の沢山ついたプリントを見て、息子の努力を感じ取ってくださっていた。
結果よりも努力の過程を褒めてあげたい、努力に花丸をあげたい。
努力に対してもらえた花丸は、「もう一度もらいたい!」と思う大きなパワーをもっていたのだ。
わたしも、これからは、そんな花丸をつけてあげよう。