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自称本好きとして生きてきて、どうにかこうにか好まぬお勉強にも精を出し、日本文学科にまで転がり込んでくると…やはり好きな作家を問われる機会というのは人よりも多い。それにしても、だ。正直に申し上げて、その回答で「三島由紀夫」と答えるコトほど微妙な空気が流れることはないだろう。もし、他にも「この作家さんを答えたら微妙な空気になっちゃった!」というご経験があればぜひお伺いしたい。日文生の中にはそういう経験をお持ちの方もいるやもしれぬ。
兎も角、三島由紀夫。彼の名を口にすると人それぞれ色々なリアクションを見せてくれるが、どれもこう、若干の苦笑いと共にある。特に年齢が上になればなるほど引き攣った笑みや耳を疑うような反応を頂戴するワケだが…(個人の感想)

わかっている、勿論わかっている!!おそらく!!!!

特に世代によってはまだメディアのコンプラ云々が緩かった時代にかなりショッキングな映像と共に世間とお茶の間を揺るがしたりとか。思想も行動も色々とね、えぇ…






だが、惚れてしまったんだ、仕方がないだろう!
艶やかで破壊的で悪魔的、道徳や倫理なんかお呼びでない、恍惚。劇的なそれは読む劇薬。お行儀よく育っていたはずの美学と価値観が瞬く間に腐食しドロドロに溶けてしまう。あぁそうだ、辞書の「背徳」の言葉の意味へは彼の作品を付すがよかろう。
中学校の図書室、9類が置いてある一番奥の、きっとお掃除当番の見逃した埃たちが集う、内緒の内緒の集会所。その本棚に挟まれた狭苦しい一角が洗礼堂。そうに違いないわ。





何方だったろう、たしか昨年か今年に受講していた講義で先生が「他人に勧められて読む本ほど面白くないものはない」と仰っていたのを何故か今思い出した。
たしかにその感覚も何となくは理解できる。だが。。。私は常日頃、他人に布教するのもされるのも好んでいると宣言している(つもりだ)し実際にそういうヤツだ。だって、いいじゃない。
他人の「お勧め」、そこにはその人が勧めたいと思うだけの魅力と熱意が詰まっている。そうして読み始めると、勧めてくれたあのお方はどこがお気に召したのだろう?ここなんかお好きだったのかしら?そういった趣味もあるのね・・・云々。好き勝手な当てずっぽうをして、読む。本自体が持つ物語に付随して、その物語がヒトに与えた感想、影響、エピソードと共に味読できるという寸法だ。
その意味では書き込みのある古本なんかも好きだ。傍線や丸の囲い、その一つ一つにどんな感動があったのか……なんて魅力的なスパイスエピソードだろう。

結局、本は読まれることでしか完成しない。著者というシェフが作り上げた料理に、読者という料理人もどきが好き放題な味付けをして嚥下する。そんな料理人もどき先駆者の方々のスパイスを諸共に味わいたい。

が、しかし。問題はこのスパイスたち。なかなか市場に出回らない。
近頃じゃァ良い時代になったもので、インターネットの大海原に本の感想が投稿できるサイトやら通販のレビューやらでそれなりに揺蕩っている。それでもやはり、このマーケットは極端に小さい。特にニッチな本になればなるほどその傾向は強まる。結果として、黄金のスパイスを求める私はボッチ大航海時代に成り果てているのだ。哀れですね。


随分と回り道したもんだが、私が言いたいのはそう。【ご興味のない方!!ぜひ三島由紀夫読んで下さいね!】
ご興味のある方は放っておいても読むでしょう。まぁなんにせよ、別に好きになってくださいなどとは申し上げていない。むしろその逆の方が私はわくわくするかもしれない。世の中、面白い本ばかりでなくとも良いはずだ。一度読んでしまったが故に、一生後悔するような、幾度となくちらちらと日常に影を落とすような、、、蝕んでくる一冊との事故みたいな出会いを、是非。



ここまで私は立て板に泥水といった具合の最悪なお喋りを繰り返してまいりましたが・・・
もしかすると件の先生は「他人に勧められただけの本は面白くない」「殊更に勧めるまでもなく相手が自然と読みたくなるような紹介をするべき」という意味で仰ったのかもしれない。もしくは「閉鎖的且つ個人的な活動である読書においてオススメという行為自体がナンセンス」なのか。いやはや真意など分かりっこない。
……やたらと振りかけたスパイスで、素材の良さがお釈迦になっている。どうやら私は相当な味覚音痴らしい。




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⚪︎月△日 夢が叶った日だった。茹るような暑さも、度々吹っ飛んで来ては私のメガネに正面衝突する虫も、延々と続く砂利道と階段も、全ては些事。文学の道へと転がり落ちてはや数年。猪口才にも程があるが、好きな作家さんなんてのもできて。その作家さんの記念館なるものにもう長いこと心を捕らえられてしまっていた。

そんな、念願。

場所は山梨県に位置する「山中湖文学の森公園」の奥深く。15個もの有名歌人たちの歌を讃えた句碑に道草をたらふく頂きつつ歩くこと数十分。見えてくるのはそう―――「三島由紀夫文学館」。
暖かな日差しが差し込む中庭にはかつての三島邸にあったアポロ像が再現されている。






東京生まれの彼の文学館が何故山梨県に?
私もそう思っていたのだが、公的機関による資料保存を望んでいた御遺族のご意向と当時準備が進められていた「山中湖文学の森公園」の構想が合致したことによる開設らしい。勿論、この地は三島作品に幾度となく登場するなど彼自身とも浅からぬ縁がある。

どのような縁があるかと言われれば、例えば『豊饒の海』であるとかが挙げられるのだが…その辺りは語り始めると長くなるため機会があれば貴方様自身の目で記念館の展示をご覧いただきたい。
主な展示としては三島由紀夫の生涯を辿るようにして展示室がぐるりと一周している。文学館の方が用意されたであろう小さなPOPのようなものもあり、見るべきポイントがとても丁寧に解説されている。基礎情報に関しても補足などで細やかに配慮がされており、事前知識の有無に関わらず楽しめるはずだ。個人的には三島が幼稚園生の頃に使用していた自由帳や小学生の頃に提出した作文といったものが印象に残っている。興味深い資料は数多くあったが、その2点はあまりにも保存状態が良いので仰天したのだ。たしかな筆で書き著された作文は、小学生とは思えないほどの整った文と字の美しさにキャプションの言葉と自分の目を疑うほどであった。
その他にも映像室では彼の生涯をムービーの形でまとめたものから、特定の一作品にフォーカスしたものまで色々な知識に親しむことができる。そして何より、特別企画展示が素晴らしい。
私が訪れた際は「推しの演劇—新世紀の三島演劇—」という特集展が行われていたのだが、こちらは通常展示とは異なり「小説家」としての三島ではなく「劇作家」としての三島にスポットライトが当てられている。
そう。小説家として名高い彼だが、実はインターネットで検索してみるときちんと「小説家・劇作家」と表示されるようにその才能は舞台の方面にも発揮されている。しかもその「舞台」は能楽や歌舞伎からオペラまで多岐に渡るのだ。彼自身が舞台へ上がることも演出や脚本を担当することも様々あり、三島がいかに「演劇」に対して精力的であったかが窺える。



特に有名なのは「近代能楽集」であろうか。本学でも能楽に関する講義を通して、能に親しんだことのある方も少なくないだろう。「近代能楽集」では8曲の作品が収められているが、その中でも「葵上」や「卒塔婆小町」、「班女」などは聞いたことがある方もいるはずだ。
それではこの「近代能楽集」とは一体何なのか。簡単な理解としてはパロディといったところだが、もっともっとオタク的に分かりやすく申し上げるのならば謂わゆる「現パロ」だ。しかしながら、ただ時代設定を近代的にしたのではない。中世に比べて、様々な演出や技術の増えた「近代」の舞台で最も「劇的」に映えるように作られている。否、作り込まれている。
現在文庫化されている「近代能楽集」は戯曲本、脚本のような形で楽しめるのだが、読んでいると頭の中で「あぁこのシーンはきっと映える!」とそんな妄想が止まらなくなる。是非とも舞台で観たい作品である。

今回の企画展では、【そんな素晴らしい三島作品たちの中で一体どの曲を舞台でやってみたいか】という質問に対する演劇関係者らの投票結果なども展示されていた。そしてそして、三島自身の書き残したオペラ「サロメ」に対する熱意溢れる「わが夢のサロメ」等々の資料も所狭しと並んでおり、三島自身の舞台への情熱と後世の演劇界が持つ三島作品への情熱という二方向を眺めることができた。なんて満足度の高い企画展示だろう…。来年は記念すべき「三島由紀夫生誕100周年」であるため、さらなる特別展示が予定されているらしい。就活との睨み合いの行く末次第では私も非常に行きたいところだ。



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さて、こんな具合で私の念願でしたのは「三島由紀夫文学館」ですが・・・もちろんその他にも色々と巡って参りました!
まず彼の文学館と同じように「山中湖文学の森公園」の中に位置するのが「徳富蘇峰館」。神奈川にある記念館とは別に、彼が生前別荘を構えたことから建てられています。







徳冨蘆花の兄であり、生涯を通してジャーナリズムや歴史書の整備に心血を注がれたお方が徳富蘇峰です。弟の蘆花は小説家として有名ですが、その実兄である蘇峰は雑誌『國民之友』を発刊したことや『國民新聞』で知られています。最初の頃は弟の蘆花も同じ新聞社にいたようですが、日本が帝国主義を唱え始めた時代に彼らの新聞も一時右傾したことがあり、そのような思想の方向性から彼ら兄弟は別々の道を辿ることになりました。
記念館には数多くの書簡が残されており、蘆花が蘇峰を皮肉るような内容もちらほら……どう見ても揉めてそうなのもちらほら……という感じでしたが、そんな中でも蘆花の小説を蘇峰が雑誌や新聞で紹介しているようなのを見るとなんだかんだ仲は悪くなかったんじゃないのかなァ~なんて勝手に思ったりもします。


それはそれとして、この徳富蘇峰、めちゃくちゃご長寿!なんと享年は95歳…!
56歳から『近世日本国民史』という超超超長編の歴史書を書き始め、90歳の時に全100巻もあるそれを完成させました。
本当に信じられない筆のパワフルさです・・・。56歳の新聞記者リタイア後から書き始めて100巻ですよ、、??まさに人生を懸けた一冊です(百冊あるけど)。

そして蘇峰は実際に別荘として山中湖の地を利用しており、山中湖に関係する詩や石碑も様々あります。訪れてみると分かるのですが、本当に自然豊かで場所によってはまるでジャングルです。それ故か、散歩が趣味だった蘇峰は道すがら良さげな植物の大きなツタを見つけると持ち帰って杖にしていたようです。何言ってるかわからないと思いますが、大丈夫です、私も分かりません。
真面目に記念館の展示を見ていたら、突然目の前に大量の(多分30本くらい)杖が生えていたのです。置いてあったんじゃない、生えてました。うん。
なんと生涯で無数の杖を使っていた蘇峰の杖コレクションの““一部””が展示されていたようで、それがあんまりにもシュールで意味が分からなすぎて「んんん…??え……????」とややしばらく大困惑しておりました。その他にも杖に関わる珍エピソードが沢山紹介されており、展示を見ながら同行者と爆笑していました。他に来館者がいなかったとはいえ、ちょっとお行儀よろしくなくて反省はしておりますが、、、もう本当に堪えきれないものがあるので、是非とも皆さん一度行ってみてほしいです。
記念館行ってあんなに吹いたの初めてかもしれない、わりと好きになっちゃったもん蘇峰さん。(失敬)


ちなみに三島由紀夫文学館と徳富蘇峰館は共通入館券となっており、これだけボリューミーな二つの館を合わせて500円で巡ることができます!!しかも大学生なら学割で400円!これはもうハッピーセットで行くしかないってモンですよ!間違ってもどっちかだけとか切ないことしないでね!!!泣いちゃうから、私が。





そしてそして、所要時間だけなら今回の旅のなかで最もかかったのが「天下茶屋」!!
なんとバスは1日に1本、車でも麓から1時間ほど。これはもう、免許持っててレンタカーできる人しか行けないタイプのやつですよ。が、しかし。残念ながら私めは無免許。マリカでも常にジュゲムにお世話になっている私めに運転なんかさせてはいけません。
その為全力でタクシーにへばりついたのですが…なんと片道で6600円位かかりました。ヒッ……一泊できちゃうよォ。。行かれる際は免許の取得をオススメします。






そんなこんなで漸く辿り着いた天下茶屋ですが、現在は「天下茶屋」と「峠の茶屋」の2店舗が存在しています。手っ取り早くほうとう鍋を味わいたい場合は麓にある「峠の茶屋」に行くのが最適かもしれません。
しかしながら今回向かったのは峠の奥にある「天下茶屋」。〈富士には月見草がよく似合う〉なんて一文で知られる太宰治の『富嶽百景』で登場していた茶屋です。実際に太宰もほうとう鍋を召し上がったとか、放蕩と聞き間違えてピキったとかなんとか…色々言われてるよ~とお店の方からお伺いしつつ、私もほうとう鍋を頂いてきました。
東京では気温が35度を超えるような日が続く夏休みに行ったのですが、山間の標高の高さからか天下茶屋の気温は23度程で上着が必要なくらいでした。つまり、鍋を食べるにはもってこいな気候というワケです。アツアツの鍋はきっと一年中いつ訪れても美味しくいただけます。


さらにここを訪れたら忘れてはいけないのは2階にある「太宰治文学記念室」。お店から少し歩いたところに『富嶽百景』の記念碑があるのですが、そちらが作られた当時の記録や井伏鱒二、太宰治が使用した茶室などお店の雰囲気をより楽しめる展示が見られます。残念ながら閉店作業の関係でじっくりと見ることは叶いませんでしたが、ほうとう鍋を味わえただけでも満足です。
公式ホームページには17時閉店となっているのですが、私が訪れた日は15時に閉店でございましたのでもし行かれる際は事前にお電話をされるか、お時間に余裕を持って展示室までご覧になると良いかもしれません。天気が変わりやすい地域であるため、営業時間等ももしかしたら流動的なのかしら…?



何はともあれ、こちらのお店の方が本当にお優しい方々で、様々なお話を聞かせてくださいました。3日も山梨にいたのに雨女すぎて、一度も富士山を拝めなかった私めのために四季折々の富士山の写真を見せてくださったり…とてもとても楽しい時間を過ごすことが出来ました。
それにしても晴れてはいるのにずぅっとお天気雨で、見たい景色には常にモヤがかかっておりました。。今度はてるてる坊主でも引っ提げてリトライしたいところです。天下茶屋の皆様誠にありがとうございました。




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ハァ〜〜〜〜長いッッ!!いいですか、これ書くのに一ヶ月くらい使ってます。纏まらなかったのです。どうにもこうにも。何でしたら最初はこの倍近くの分量がございました。割愛に割愛を重ねたということ。
幸福にも書きたいことが多すぎて、言葉が感情に追い付かない。全くもって読みにくい、駄文でしょう紛れもなく。本当はもういっそゼンブ消そうかとも思ったのですよ。
でもまァ、このみっともないこんがらがった紀行文モドキも、その中から平々凡々たるオタクの熱意だけは、もしかしたら心優しい貴方様が拾ってくださるかな。などと。




大学2年生の夏休み、私のこんな3日間。

まさに、満願。



私は三島由紀夫の「文学」が好きだ。太宰の「文学」はどうだろう。難しい。
イヤヨイヤヨモスキノウチ?