ご無沙汰しております、みちるです。
街の中央通りに人々が集まる様子を見るとき、人の消えた周縁を想像する。
人の流れと状態とを視覚的に感じながら、在東京少女であることを悔しく思う。
じきに我々は、死者の日を迎えることでしょう。
生とは光を感じることであって、決して見ることではない。私は人を感じることで、死者の日に舞い戻る予定のジョーイ・ラモーンに成り替わることを計画する。
「そこ、ほくろの位置をまちがえないように」
その通り。たったひとつ、唯一あなたにだけは看破されてしまうような身体的特徴に細心の注意を払わなければいけない。
しかし、局部のほくろを自分で見るのはあまりに勿体ないと思いませんか。
(間奏)
年末を意識するのにも早すぎないような時期だ。
私は年内にリリースされるという『クロックタワー』の復刻版をずっと待ち続けているのだが、夏以来めっきり続報が絶えている。
数年前に友人宅でPS3版をプレイし、想像を絶するほどの長い時間をかけてようやく真っ当なエンディングに到達した。「真っ当な」という表現をとるのは、本作では序盤に用意された複数の死亡ルートもエンディングの一つとして数えられるためだ。マップやアイテム、トラップが初期化ごとに変化する『クロックタワー』の絶望を味わいながら、辛くもジェニファーの生還を見届けたとき、私は(もう続編をプレイできないかもしれない)と思うほどに一つの完結した物語を愛していた。
結局、正式な続編ではないながらエッセンスを継承した『DEMENTO』も友人のプレイで確認したが、やはり『クロックタワー』ほどの満足感は得られなかった(のちに私が極端な犬派へと転向したことで犬ゲーの側面を併せ持つ『DEMENTO』の評価は一変する)。
『クロックタワー』は、出産の悲劇を描き出した作品として読むことができる。この点については『DEMENTO』も共通しているのだが、後者はより観念的に産むことについての問題を含むうえ、操作キャラクター・フィオナにはある程度敵を退けるすべが用意されている。
『クロックタワー』において操作キャラクター・ジェニファーはひたすら逃げ回り、アイテムを回収し、イベントをこなす。ジェニファーは基本的に逃走しながらマップを開拓していくことになるので、通常アクションに「攻撃」の選択肢はない(非常時のパニック対応を別として)。
10代の孤児であり少女であるジェニファーらがなす術のない脅威に相対してエンディングにかけて意図せず成長してしまうさまは、怪母メアリーが孤独と共に膨張させてきた問題と、あるいは問題の発端となった出産という出来事と重ねられる。
後作でのネタバラシというか伏線回収で怪児の生まれる理由や怪児出産そのものについて言及があるようだが、無印単体を考える場合はあまり気にしないほうが得策ではないかと思われる。
例えば小説版では、シザーマンとなる怪児は或る一族の女性の腹に出現する次元の扉を通して生まれるとされており、つまりメアリーと初期シザーマンおよび地下洞窟の嬰児との間に血縁関係はないことになる。私はこの設定について膣を経由した巨大嬰児の出産の不可能性に鑑みて追加されたものではないかと考えているが、実際のところ小説版における出産についての詳細な設定は不明であるから、予想の範囲を出ない。ただ個人的には、少なくともメアリーは血縁関係を当然のものとして把握していてほしいという希望があるので、小説版はあくまで別作として確認している。
即ち少女の成長、女の出産、喪の作業、という三種類の問題が(前者二つについては「女性の」)肉体の不随意性というひとつの軸をもって展開されるのが『クロックタワー』であった。多少古い作品なだけあって人物の造形があまりはっきりしなかったので、そういった面でも復刻版には期待しているのだが、果たして年内に発売されるのだろうか。生前のウォルター・シンプソンの形影は登場するのだろうか。望むらくは、私の愛する『クロックタワー』が卒論完遂ののちすぐに新たなパッケージを我々の前に披露してくれるように。道端のカラスに祈るばかりだ。
またお手紙書きますね、大好きです。 みちる