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中華鍋に踊るブタ肉のうしろには

中華鍋でブタ肉を炒めていると、かならず、あの絶叫がよみがえる。


 「あたしにこれを、どうリポートしろっていうのっ!!?」

 脳裏にこだまする女性リポーターの声と重なって、撮影するカメラマンの冷静な声も聞こえてくる。

 「これ、放送できんの?」

 料理番組ではありません。

 ずいぶん前のこと、食の安全というものを見聞したく、その先進国のひとつであったデンマークへ取材に行った。
 デンマークは安全管理に基づいた豚肉を生産し、日本はメキシコや中国だけでなく、デンマークからも豚肉を輸入していた。日本ではとりわけ食の安全という意識が高まっていた。またデンマークからもより安全性を理解してもらいたいという互いの勘定が一致。おかげで、はるばる北欧までの取材となった。

 ぼくは子豚の肥育から輸出される肉になるまでを、カメラとリポーターを交えて追いかけた。
 最初に訪ねた養豚の農家では、環境や飼料まで手の行き届いた肥育をみせてもらった。国の政策や農家の取り組みなどを、いちおう真顔できいてはいたけれど、ぼくが一番衝撃を受けたのは、そうした努力ではない。

 子ブタがとてつもなく、愛くるしかったことだった。

 子猫なんて比較にならないのよww
 
 その可愛さといったら悪魔並み。

 肥育舎で数百頭の、豆みたいな子ブタたちがゼンマイ仕掛けのオモチャのように走り回り、鼻をヒクヒクさせてなついてくる仕草は、ヒゲ面のオッサンでもキュン死もの。足元に広がる子ブタの海に飛び込みたい衝動にかられ、農家のおじさんがいなければホントに子ブタの中を転げ回っておった。どうしても飼いたい!と血迷う。

この愛くるしさは子猫の比ではない。


 そうした子ブタたちも数ヶ月後には出荷される。ブタは大きくなるのが早いの。
 
 運ばれていくのは食肉加工場。
 リポーターが立ち、ビデオテープがまわる。
 カメラの前に、豚さんが満載されたトラックがやってくる。
 トラックの荷台が開くと、豚さんたちは追い立てられるように通路を進んでいく。
 その先には炭酸ガス室。ガス室の扉が閉められ、数十秒後、反対のドアから土砂が崩れるようにゴロゴロとモノとなった豚さんたちが転がり落ちてくる。
 豚さんたちは一頭づつ、宙吊りのベルトコンベアーにぶら下げられて、順路に従って解体されていく。
 血液をホースで抜かれ、皮をはがし、内臓は…精緻に描写することもないですけど、ぼくはリポーターを離さず、解体される工程をずっとカメラにおさめていった。

 それはそれは、さすがにショッキングな光景でありましたよ。

 前日に見た、萌死寸前の子ブタの愛くるしさから一転しての阿鼻叫喚。

 そりゃ、リポーターも叫ぶでしょう。

 そりゃ、放送もできんでしょう。

 放送ではほとんど使えないだろうということは、うすうす察していた。
 それでもここの撮影は、ぼく自身の強いオーダーでお願いし、ぼく自身がどうしても見たかった。

 もう何十年もまえに亡くなったひいおばあちゃんは、肉類をいっさい口にしなかった。
 小さかったぼくはそれが不思議だった。こんなにおいしいのに。それに親は必ず、好き嫌いをしてはいけません、と耳タコに説教するのに、ひいおばあちゃんは好き嫌いをしているではないか。
 ぼくは、自分と同じぐらいの背丈の小さなおばあちゃんに、なぜと問うた。

 「あたしが子どもの頃、屠場にひかれていく牛が涙を流し泣いていたのをみたんだよ」

 その姿があまりにつらく、それ以来おばあちゃんは肉を食べられなくなったという。子どものぼくはよく理解できなかったんだけど、この言葉を忘れることができなかった。

 日々食べるものについて、ぼくはどのくらい知っているのだろう。
 おそらくひいおばあちゃんの言葉が脳みその深いところに刻まれているのだ。

 お米や野菜はどうやって作られるのか。
 サカナを捕まえ、トリを捌く。自分の口にやってくるまで、どんな経路をたどってくるのか。折りにふれ、見られるものは見てきたけれど、豚も牛も、それを見たことがなかった。
 あのときの、屠畜をみたいというぼくの気持ちは、ひいおばあちゃんの言葉を理解したかったからに違いない。

 工場の最後の工程になって、ようやく、ぼくたちが肉屋さんやスーパーで見慣れた形の「豚肉」が現れてきた。
 丸太のような肉塊を箱詰めにする工員さんが、

 「これ、日本に行くんだよ」

 と、JAPANと刻まれたハンコを箱に押した。
 撮影時間の流れから、その箱詰めにされた肉は、ちょうどトラックで運ばれてきたやつだったかもしれない。

 頭ではわかっていても、肌で感じるものは大きい。

 命は命のために、命を食べる。

 もう宗教だか哲学だかわからない領域に入ってしまうけれど、けっきょく、食べるものはありがたくいただき、手をつけたら残さず綺麗に食べなさいということなのだ。
 食肉加工場で最後の加工をしていた工員さんが、豚について教えてくれた。

 「うちの国では昔から『豚は鳴き声以外、すべて使える』っていうんだよ」

 北欧は豊かな土地ではないから、食べるものを大切にしてきたという。
 それは日本だって同じはず。自給自足率の極めて低い、海に囲まれた土地ですよ。輸入が目一杯されているから、気づきにくいだけ。

 最近では食品ロスという言葉もよく見かける。
 背後にビジネス的経済的理由があるんだかないんだか知らないけれど、売る側も買う側も一度、子ブタの愛くるしさと炭酸ガス室に引かれる寸前の絶叫という激しい落差を体験するといい。
 ひいおばあちゃんのようにはならなくても、食べるものはモヤシ一本も無駄にしてはいけないのだ。

 豚のすべてをつかうデンマーク。
 ちなみにコペンハーゲンのコンビニで買った豚の皮を薄切りにして揚げたチップスはべらぼうに旨かった。あれはもう一度、食べたい。


 …などと中華鍋を振っていると、あらぬ方向へどんどん妄想トリップしてしまう。鍋振りリズムで、火を見つめているとヤバイよね。
 しかし、子ブタの愛くるしい瞳を思い浮かべつつ、外にこぼれる小さな肉一片も中華鍋へ拾っております。
 ブタはやっぱりおいしいよ。
 

(2017年1月7日記)

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