ぼくはネコは飼ってなんぞいません・前編
最近周りの方から、
「飼ってるんですってねー」
と言われているが、ネコは飼ってなんぞいません。
ヤツ(♂)が、ぼくの部屋に勝手に出入りしているだけです。
便宜上、現在<きゅう(仮名)>とは呼んではいるけれど、他のところでなんと呼ばれているかはわからない。
この茶白ネコとの出会いはひとことでは言い切れず、今の関係もとても微妙で説明しにくい。
しいて言うなら「知り合い」か。
ちょうど1年前の9月のいまごろ。
映画の製作も大詰め、音楽や音を整理する最終段階に入ってきて、帰宅する時間も深夜になることが続いていた。
そんな深夜1時。
玄関のドアの向こうで
「にゃあ」
という声がした。
ドアを開けると薄汚い三毛猫が座っていた。あきらかに野良猫。
「ちょっと待ってろ」
ぼくはそう言って、なにげなくご飯の残り物を差し出した。
するとそいつはよっぽどお腹が空いていたのか、ぼくを警戒することもなくガツガツと食べ始め、器にいっぱいあったご飯をきれいに平らげた。本人も満足したんだろう、ゆうゆうと夜陰に消えていった。
ごちそうさまでした、ぐらい言え。
ところが、あくる日から、決まって深夜1時になると、外で「にゃあ」という声がきこえ、そいつはやってくる。ぼくはエサを出し、ネコは食べると礼も言わずに去っていく。それがまた翌日も続いたもんで、ぼくは仕方なく近所のスーパーでネコのご飯を買ったわけさ。
それが数日続き始めた頃、隣りに住むおばあさんから、
「最近、あの子すっかり懐いたようねえ」
と、いきなり話しかけられた。
おばあさん、なんで知っておる!?
深夜1時、誰もいない夜中ですよ!?
そっちに驚いた。
おばあさんは一匹太ったネコを飼っており、名前を<福ちゃん>という。
時々外で出会うのだが、これが名前とはうらはらになんとも愛想がない。声をかけてもムスッとした顔でガン無視。にゃあとも言わない。まあ、ネコとはそういうもの。人間に媚びを売ってもほしくもない。
「あの子の子どもたちは見ました?」
「こども?」
話によると、あの三毛猫はお母さんネコで、春先に子どもを産んだらしい。しばらくこの辺りを親子で歩いていたそうだ。まったく知りませんでしたな。そんなネコなんか見たこともないし、とりたてて興味もない。だいいち、ぼくはほとんど家にはおらんよ。
「三匹いるのよ」
とおばあさんは教えてくれた。
「灰色の二匹はメスで、茶白がオスなのよ」
「一緒には見てませんねえ」
ぼくがそう答えるとおばあさんは頷いた。「やっぱり」
やっぱりってなんだ?
「最近ねえ、子どもたちも大きくなっておかあさんも親離れさせようとしているのか、こどもたちを追い払い始めたのよ。ここは自分の縄張りだ、というのかしら。この前は子どもの一匹を追い掛け回して、耳をかじっちゃったのよ。ネコの親子の愛情は続かないのかしらねえ」
と、まるで『骨肉の争い』を伝える芸能記者のような解説を聞かされた。
おばあさんはその親子ネコだけでなく、近所に生息する野良猫たちの動静にえらい詳しい。たぶんネコ新聞でも発行しているはずだ。
「でも三匹の子どもたちはまだこの辺りにいるから、そのうち会いますよ」
別に会わんでもいいんだが。
それからも三毛猫はきまって深夜1時にやってくる。ぼくはエサを用意する。
おかしな日課ができてしまった。
ただあいつは時計を持っていないので、時間になっても姿を見せないこともあった。どこかに寄っているのかは知らない。そこまでネコに気遣いもしたくないし、ネコだって気遣ってほしくないだろう。ぼくはエサを皿に入れて、外に置いておくことにした。
翌朝、エサは必ずなくなっている。
ネコと男は微妙に付き合うものだ。
デビッド・フィンチャー監督の作品に「ドラゴンタトゥーの女」という映画がある。この映画の中、本題とはまったく関係のない小さな描写でネコと男の微妙な関係が描かれている。
これが実にイイ。
ダニエル・クレイグが演じる主人公ミカエルは、ある財閥に依頼されて、謎の事件の調査をするために舞台となる島にやってくる。調査の期間中、与えられた小さな家に入ると、窓の外に一匹のネコがいる。外は雪がふっており、ミカエルは窓を開けてやるとネコは警戒しながらも家に入ってくる。ネコは離れたところで丸くなり、ミカエルもいっさい顧みない。お互いに不干渉であろうというわけだ。
映画はかなりサスペンスフルな展開なのだが、観客の息抜きのためのように、合間にミカエルとネコの様子が描写される。
パソコンに向かい仕事をするミカエル。いつの間にかそばに座っているネコ。また自炊のために食材を買うミカエルが、思い出したようにキャットフードに手を伸ばす。さりげなくネコとの距離が少しづつ縮められていく様子が好ましい。
依然、ミカエルとネコは互いに付かず離れず。ただせっかくエサを買ってきたのに姿を見せないネコに
ミカエルはエサ皿を手に外へ出て、つい叫んじゃうのだ。
「キャーーーーット!!(ネコ−−−−!!)」
なんて笑えるエピソード。
名前さえもつけていない。でも、その気持もよくわかる。
いかにもネコと男の関係じゃないか。
ぼくも三毛猫には名前などつけていなかった。
といって夜中に「ねこーーーっ」と叫ぶわけにもいかない。
10日もすぎたころ、とりあえずぼくは、
<1時(暫定)>
と呼ぶことにした。
彼女はかなり警戒心を解いたのか、食べ終わったあとも、しばらく居座るようになってきた。
またぼくが帰ってくるのを察して、玄関先で出迎えることもしばしばあった。
このお互いにつかず離れずの微妙な関係が二週間近く続いたある日、玄関の外で「にゃあ」という声が聞こえた。
時計を見ると、夜8時。
ずいぶん、あいつも厚かましくなってきたもんだ、と思いながらドアを開けた。
ところが、声の主は<1時>ではなかった。
灰白色の猫。
体の大きさが少し小さい。左の耳に傷があり、乾いた血がついている。
コイツはもしかして、おばあ記者の言っていた<1時>の娘か?
なんで、うちのドアの前にいるんだ?
ぼくはしばし灰白ネコを見つめた。
そいつもやや離れたところから、まるで値踏みするような眼で、こっちをじっと見つめていた。
ここから、実にめんどくさいネコ社会に巻き込まれることになろうとは、その時ぼくは予想もしていなかった。
以下、次回。
(2016年9月17日記)
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