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ピカソを見ならい、猫にはソーセージを

 カラスとお知り合いになりたいと熱望している、と伝えたら、ある方からこんなものを送っていただいた。


 カラスは言葉を解すると聞いたからである。

 カラスは頭の良い鳥である。
 その日、私は買ったばかりの食材をいっぱい入れた袋をカゴに積んだ自転車を止めていた。
 ちょっとその場を離れて戻ると、一羽のカラスがカゴの上に止まり、袋を物色していた。よく見ると、カラスは袋の中を覗き込むようにクチバシでかき回しておる。
 その様子が妙に人間臭かったので、つい眺めてしまった。
 我にかえり、あわてて追い払おうとしたら、一番高かった牛肉のパックをちゃんとクチバシで破っており、丁寧にも肉だけをくわえ持って飛去った。
 腹が立つよりも、えらく感心してしまった。
 カラスとお知り合いになると、ずいぶんご相伴に預かれるのではないかと私は考えた。

 動物と人間のあいだにも気遣いは育めるものか。
 画家のパブロ・ピカソは飼っていたネコが持ってかえってくるソーセージを分け合って食べてたとか、奪って食べてたとか。
 ネコでさえ一宿一飯の義理は理解できるものと思われる。
 あのカラスの行動を思い出し、私はうちに出入りしている野良猫<きゅう>に

 「お前もたまにはうまい魚(あかむつ希望)でも差し入れしろ」

 と説教をした。

 夏も終わりの頃だ。
 ものすごい勢いで、きゅうが窓から飛び込んできた。部屋の隅でフーフーとあらい鼻息をたてて騒がしい。みると、きゅうはなにかをくわえている。
 魚をもってきたか!? と期待した。
 きゅうはぷいっと口から吐き出すと、床の上に黒い小さなものがうごめいている。
 ぶぶぶぶぶぶぶ。
 羽音をたてて、セミが転がっていた。


 「それはセミ、魚ではありません」

 夏も終わり、寿命の近いセミも力つきて木から落ちたのか。それを捕まえたらしい。
 きゅうはしばらくセミで遊んでいた。ただ寿命は尽きるといっても、弄ばれて死すのはセミの本懐でもあるまい。助けてやろうと振り返ったら、もぎ取られた羽だけが床に落ちている。きゅうの口がモゴモゴ動いている。
 セミ、たべちゃった。

 それからである。
 きゅうはたびたび荒い鼻息をたてながら、部屋に飛び込んでくる。
 その日のそいつは、きゅうの口元で身をよじりながらうごめいていた。
 薄緑の色をしたヤモリだった。

 「それも魚とちがう。ヤモリだ」

 さすがに可哀想になり、救出しようとしてきゅうと争っていたら、ヤモリが二つに割れた。私もきゅうも驚き、一瞬ひるんでしまった。
 ちぎれた体をよくみると、シッポだった。
 ヤモリは敵に襲われるとシッポを自ら切り落とし、ひるんだ隙に逃げるというのは本当である。しかも切れたシッポはしばらくのあいだ、別の生き物のようにうねうね動いておる。
 きゅうは動くシッポに気を取られ、そのすきに私はヤモリ本体を救出したが、怒るヤモリに指を噛まれた。


 私はヤモリを外に逃がしに行ったが、戻ってくるとシッポがない。きゅうはモグモグと口を動かしておる。
 シッポも食べちゃった。

 今度はやたら激しく、ばたばたと羽音がする。きゅうの興奮の度合いもえらく激しい。
 口元で暴れているのは、一羽のスズメだった。

 「おまえ、それはちょっと待て!」


 スズメは最近じゃすっかり姿を見なくなった。絶滅危惧種である、たぶん。これは保護しなければならない。
 喰われてはたまらんし、焼き鳥屋であってもあまり見かけなくなっているくらいなのだ。
 私は興奮するきゅうと争い、やっとのことでスズメを救出した。
 もどせかえせと騒ぐきゅうを尻目に、私はグッタリするスズメを介抱した。が、私の思いもむなしく、まもなくスズメは息をひきとった。

お墓を作って埋葬いたしました。



 結局、きゅうは私のところに、

 セミ3匹(全員食べられて死亡)
 ヤモリ6匹(全員シッポを除いて救出)
 スズメ4羽(3羽死亡)

 を差し入れてきたのだが、どれも受け入れがたいものだった。

 きゅうに魚は無理だと私はあきらめ、ピカソをみならってソーセージを期待することにした。
 私はきゅうにソーセージがどういうものかを理解させる為に、鼻先にソーセージを差し出した。

 「これを持ってこい」

 きゅうはスンスンと匂いを嗅いでいた。
 ところがぷいと顔を背けると、後ろ足で砂をかける仕草をしたのである。ソーセージよりセミなのか、ヤモリのシッポなのか。
 私のソーセージの夢は消えた。


 ところがである。
 最近、私の部屋の窓にある手すりに時おり、カラスが舞い降りてくるようになった。まだ私の姿があるとやってはこないのだが、カーテンを閉めている時に、手すりの上をカンカンと歩く音がするのである。
 ついにお知り合いになれるチャンスが来ているのかもしれないと、私はいま胸が躍っている。
 彼らなら、お知り合いになりさえすれば、松坂牛でも、ヒラメでも、ローゼンハイムのスモークソーセージでも必ず差し入れてくれるに違いない。
 ここは何としてでも、お近づきにならねばならない。
 いただいた楽譜が役立つ時がきた。

 ただひとつの問題は、私にはさっぱり音符が読めないことである。
 そういうわけで、いまとっても困っております。

(2016年12月10日記)

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