「別に人生の半分ほどの損もないけども」
教科書はよく、比喩として「これを観とかなきゃ/聴いとかなきゃ」みたいな、「マスト」「正統」「教典」のような言い方で使われることがある。今回はそんな話。
こんなところで書くことかわからないけども、私はとりあえず、本を読むこと、映画を観ること、音楽を聴くことが他の人より少しばかり好きなことを自負している。一応音楽とか聴いて(個人的にだけど)感想を発信したり、なんか上手いこと言ったりしている(?)。でもその一方で、私、いわゆる「教科書」的なものをちゃんと通っているかというと、決してそんなことない。多分こんなこと言うと周囲からの目が変わるんだろうな。あえて具体的に作品名とか挙げないけど、あれとか、あーあと、あれとかね。
あとで!!後で聴くから許して!!!
いわゆる「名作」をあまり通ってないことに関して特に苦労はないけども、じゃあ何で通ろうとしていないのかと、この機会に考えてみる。
一つ目。多分私は人から何かをお勧めされるのが嫌いなのだと思う。「これ見てみて」とか言われると身構えてしまう。何か感想をその勧めてきた人に伝えなければならないような気がしてしまう。私はなるべく言葉を選んで伝えたいのに、そんな時間はないみたい。おすすめされたものを実際に観たり聴いたりしてみると、意外とよかったりするので、普通にいうこと聞いとけばよかったと後悔することが多々あるけども、この癖は治らない。
二つ目。こんなこと書いてる私にも、確固たる「教科書」がある。The Beatles。これだけは外せない。彼らが強すぎる。例えば60年代の音楽史に残るような人たちは、私からしたらみんな「Beatles以外」になってしまう。今更「これ聴け」と言われても、幼少期からの圧倒的1位には個人的な意味で及ぶはずもない(さながら雛鳥が最初に見たものを親と勘違いするように、小さい頃に出会ってなかったらもっと相対化した見方もできたのかなとも思う)。
三つ目。先にも少し書いたように、「今更」だから、というのもある。上手く言葉にできないから一言でいうと、私の行動にはいらん自意識が反映されすぎ。
最後。怠惰。案外これが一番大きかったりする。これは直さなきゃね。
聴くってば!!!でも申し訳ない、好きな曲はもちろんあるけど、ミスチルだけは本当に苦手…
話は変わるけど、最近「ファスト教養」なる概念が登場しているみたい。ビジネスで強者となりお金を稼ぐために、手っ取り早く教養を手にしてしまおうというものらしい(そしてここら辺が、映画を倍速視聴したりする部分に関わっているみたい。私は絶対しないけど)。まあ仕方ない話だよなとは思うし、多分私は脱落する側だろうなとも。でもこれには与したくないなと思うわけです。仮にそれなりの「教科書」があったとして、それが生まれた背景は何か、どういう文脈か、そしてそれがどうやって後に尾を引き、影響を残しているのか、そういうことをなるべくゆっくり考えていきながら(別に勉強じゃない、的外れでも考えることが大事?)、受け取っていくのが「教科書を読む」ということじゃないのかなと。多分こういう思いでいるから、いざ古典を通ってみようとなるときの心理的負担が大きすぎるのだろうけど。
あーすっきりした。ここら辺のコンプレックスはかなり尾を引いているからね。思い切って書いてみましたが、これからも何かおすすめあったら教えてくださいね。はっきりと信用している人ならいうこと聞いて色々観たり聴いたりするから(MCUにはまったのも人からの勧めだし)。とはいえ、他の人もこんな感じじゃない?意外と話合わせてるだけだったりして。そんなことないか。
(あとがき)
「読んでいない本について堂々と語る方法」という本がある。作品を受け取るだけでは良くなくて、実際そこから何を考え見出すかが教養として大事、下手にのめりこむよりは読んでいないくらいがちょうどいい、大体読んだって言ってるけど、それってどういうこと?みたいな本だけど(正直記憶が曖昧、書きながらそういえばこんな本読んだなって思い出した程度だし)、多分今回の参考文献はこれ。私も読み直そう。
あと、娯楽はやっぱり娯楽でしかないからみんなもほどほどに楽しもうね。
〈ここで一曲〉
コード進行がよく使われているんだって。わからない……
<前回#はな の投稿を読む>
<この記事に関しての詳細はこちら>
#大学生 #専門学生 #ラジオ #jwave #教科書