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挫折して良かった!


挫折して良かったことの話をする。


物心ついた頃から絵を描くことが大好きだった。

人と比べることもなかったから、純粋に楽しかった。


小学校に入学し図工の授業が始まると、自分の手から生まれたものに周りとの優劣が付けられ、各人の実力が目に見えるようになる。

消防写生会、選挙ポスターコンクールなどで表彰が行われるようになると、いつの間にか「大人に褒められる絵」を描くようになっていたように思う。

小学2年生の私が描いた消防車。改めて見ると
あまりにもも愛らしくて笑ってしまう


ダイナミックさでは他の子に勝てないのは分かっていた。私が大人に褒められるには、とにかく精密に描くことと、白い部分を残さないことが大事だと気づいていた。

今でも鮮明に思い出せる。
雨が降り出して、同級生も先生も全員教室に戻っているのに意地になって、消防団員の方に囲まれながらトイレに行きたいのも我慢して、赤のクレヨンが潰れてなくなるまで描いていた時の気持ち。

賞を取って、市役所や電車の中吊り広告に自分の絵が展示された時の誇らしい気持ちも。



多分、あの頃の私は「絵を描くこと自体の楽しさ」ではなくて「大人が求める絵を描き良い評価を受けることの楽しさ」の中毒だった。


他の勉強も好きだったけれど自分が1番褒められるのは絵だったし、絵を描いて生きていくんだと思っていた。1/2成人式では10歳にして「美大に行く宣言」をしていた。


そう簡単に行けるものでもないのに。

美大受験の予備校には自分より絵が上手い人しかいなかった。上手いというか、私には上手い下手は分からないけれどみんな確実に私より褒められていた。

今見ると先生はとても優しい言い方で
指摘して下さっているのに、これで萎えていた

自分の絵に下される評価=自分自身の評価という考えに縛られていた私にはしんどい場所だった。褒められないと自分の存在まで否定されたような惨めな気持ちになった。
このままじゃ絵を描くことが嫌いになってしまうと思った。


嫌いになりたくなかった。


だから、絵を描いて生きていきたいという気持ちがなくなった。

今は絵の実力で評価される世界にはいないから、絵を描くことが好きでいられている。
11月に訪れた東京都庭園美術館で行われていたボタニカルアートの展示に触発され、しばらく花の絵を描くことにハマっていた。

楽しく描けたお気に入りの4つ


そういえば幼い頃、植物の名前を覚えることが好きだった。それも大人に褒められるからなんだけど。

今でも、ナンテンとピラカンサが見分けられるのが自慢。
ヒメオドリコソウとオドリコソウの見分け方は忘れてしまった。調べれば出てくるだろうけれど、分かったところで誰に褒められる訳でもないし。

あれ、私は結局人に褒められるために生きているのだろうか?


あとがき

絵を描くことを嫌いになりたくなかったというそれっぽい理由をつけていますが、皆さんお分かりのように私は才能がない上に努力ができなかっただけです。
そのため、美大生や美大出身の方に出会うと劣等感こそ生まれませんが、憧れと尊敬の念でいっぱいになります。

ただ、あの時の挫折のおかげで今の自分があります。
今やっている勉強が本当に楽しくて、大学の4年間を費やすのに最適な選択ができたと思えているので幸せ者です。やりたいことをやらせてくれる両親には心から感謝しています。



<ここで一曲>

キラキラした音や光のかけらが詰まった「花火のように」という韓国版タイトルにふさわしいこの曲。
はなというテーマが決まった時、最初は花火について書こうと思っていたため。

書いた人:てぃん
ひとこと:20歳にもなって地味に身長が伸びている!遂に160cmに到達したことの喜びが抑えきれず、会う人みんなに自慢してしまう。
WACODES

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