ひとり旅、孤独ゆえ・・・
ひとり旅。
言葉の聞こえはいいけれど、やってみると本当に孤独だ。
当たり前だけど、誰も話し相手がいない。
「今日は暑いね」とか「これ美味しいね」とか、何気ない事実や感想を共有できる仲間がいないことは、孤独であるという事実を増幅させ、途端に自分のことをよく理解する友人に会いたくなったりする。
そもそもひとり旅に出ようと思ったのは、自らの過酷な体験やそこで出会った魅力的な人々を豊かな筆致で描いたエッセイやルポルタージュに憧れたためであったはずなのに、旅に出て少しすると
「そんなものは小説の中の話だったのだ」という現実に気がつく。
素敵な出会いはそこらじゅうに転がっているわけではないし、
汚い身なりで旅する大学生に自ら寄ってくる物好きもいない。
そういえば自分だってそんなに社交的な人間じゃなかった。
それでも、僕がひとり旅をやめられない理由は、
旅の中でした選択が思わぬ結果を呼ぶから。
昨年の春、「どうせコロナ禍で海外になんて行けないのだから出来るだけ海外に近いところに行ってしまおう」と考え、私は沖縄に飛んだ。
宿のある那覇市中心部から、本島内のさまざまな場所へ行きたいのだが、
一つ問題点があった。
私は車の免許を持っていなかった。
沖縄本島内には、電車は通っていない。那覇中心部を通るモノレールはあるが、それで行ける場所は限られている。
公共交通機関で残された選択肢は路線バスなのだが、20年間の東京周辺暮らしですっかり電車移動人間になってしまい、どのバス停から何が出ているのかさっぱりわからない。
さて、どうするか。
そうだ、レンタサイクルで行こう。
那覇市内各所にあるレンタサイクルステーションから自転車を借り、首里城や平和記念公園、ひめゆりの塔などさまざまな場所を巡った。
私はこの旅の中で自転車を乗り回し、全日程合わせての走行距離は50kmを突破。友人との旅行であれば、当然分別のある選択ができるのでこんなことはしない。
はっきり言ってヘトヘトになったし、必死に漕ぐ自転車を悠々と路線バスが追い越して行った時は、
「もう少し真面目にバスと向き合った方が良かったかもしれない」
なんて思ったりもした。
ただ、体に負荷をかけたからこそ得られるものもある。
自動車では絶対に通れないのどかな畑の横道や、入り組んだ住宅街を走るときのワクワク。一面に広がる海を眺めながら浴びる風の心地よさ。涼しいバスの中に居ただけでは味わえない、目的地に着いたときの達成感。
自分ひとりだからこそできた選択が忘れられない思い出を作って、ひとり旅への衝動を駆り立ててしまう。そんなものなのかもしれない。
<ここで一曲>
andymoriの楽曲含め、小山田壮平さんは旅への憧れを僕にくれた人です。都市の雑踏の中「どこか行きたい・・・」と思いながら今日も再生ボタンを押すのです。
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