池袋駅から出られない
袋というテーマで文章を書こう。こうなったとき私は奇をてらいたがるので(とか言って他にも書いている人がいるだろう、私の人生いつもこんな感じだ)、池袋について書きたいと思う。そんなに思い出のある場所ではないけれど、私はこの駅から電車を降りて、一回で希望通りの出口から外の景色を見たことがない。
方向感覚には自信のある方だった。地元での散歩では道に迷ったことがないし、電車の乗り換えもスムーズに行える。歩くのが人より速いこともあって、先導しようという気概は持っている。
ただそんな自信も、東京都心に出ればあまり役に立たない。乗り換えはまだできる。車両の色や案内板で判断できる。しかし特にこれといった目印もない場合のターミナル駅。これはもう無理。新宿駅は使い慣れたこともあってまだ攻略できるのだが、池袋駅は迷宮。ラビリンス。初めて訪れたときは東口に西武、西口に東武があることに気づき愕然し(ここでは常識は通用しないのだと、MCUの世界を感じた)、続く来訪ではここも新宿と同様後者位置によって放り出される場所が代わってくるのだという気づきを得て、さらに続く挑戦では「東口(南)」「西口(北)」など、方角を考え出した先人を冒とくしているのかと問い詰めたくなるような複雑さ。さらに路線によって種類が違ったり、様々な階で出てくる場所が異なっている。
もう相当数池袋に来ている気がするのだけども、いつも外の景色を見た時「ここはどこ…?」となる。さながら『孤独のグルメ』の松重豊。しかもその絶望感は空腹を上回っている。友達と待ち合わせをした時もそうだ。東口が複数個あることを念頭に置かず「じゃあ明日池袋の東口で!」などと言ってしまったら、駅構内で電話をしながら合流地点を探さなければいけない(きっとその直線距離僅か数十メートル)。そう考えると文明の利器がない状態での待ち合わせは相当難しかったと思う。もちろん今ほど複雑な場所ではなかったはずだろうが、だったら今もそんなに難しくしないでほしい。
原因は色々あるだろう。百貨店との接続や他路線との連絡通路。そういったものが複雑にさせている。そうやって考えると、あの迷路に対応する方法は、真面目に案内板を確認すること(自分の感覚に頼らない)、念入りに希望場所の設定をすることくらいに思える。複雑な袋小路にはシンプルで対抗するしかないのだろうな。フルーパウダーが現実にあればいいのに。
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