本当は怖い「洗濯」
「日本を今一度せんたくいたし申し候」という坂本龍馬の言葉がある。時の幕府の重鎮松平春嶽に宛てた手紙の一節だが、私はこれをなぜか「選択」だと勘違いをしていた。正しくは「洗濯」である。
正しい意味を理解をしたところで、私はこの言葉に違和感を覚える。
洗濯とは何か。染みついた汚れを洗い落とすことである。しかし真っ白なTシャツならまだしも、日本という国を洗濯するとなれば、何が元の色合いで何が染みついた汚れなのか、その判別は極めて難しい。原文で洗い落とすものとして挙げられているのは腐った役人たちだが、その判断さえ人によって異なること必定である。
ミートソースのパスタを食べる時に白いズボンを履いていると、焦る。そして、実際にやらかす。「洗い落とすべき汚れ」である。しかし数十年の時を経て、オレンジ色のシミがついた白いズボンを何かの拍子に見つけた時、それは「愛おしい汚れ」に変わっている。時は汚れを思い出に変える。
日本の代表的な「伝統文化」である歌舞伎も、元を辿れば野卑な踊りであったのだから、当時にあっては「洗い流すべき汚れ」であったであろうし、事実そうであった。結局、何が「伝統」になって何が「因習」になるのかなど、誰にもわからないのである。
だとすれば、世の中に存在するものをいっときの判断で洗濯してしまうのには大きなリスクが伴う。「洗濯」とはつまるところある種の価値判断であり、もっといえば、その価値観に基づいた取捨「選択」なのだ。
<ここで一曲>
記事とは関係ないけど、『ベルファスト』を見てからずっと脳内で鳴ってます。
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