第三話 起業(独立) ママだってあきらめたくない
派遣社員の悲しき現実
娘との生活が始まり、派遣社員でもありがたいことに産休・育休が取得できたので、その間にいろいろなイベントや講座に子連れで(たまにひとりで)参加してみた。
娘と離れたくない気持ちが強かったので
保育園をどうするか、仕事もどんな風にやるか
もんもんと考えながらの日々。
そんな中、もともと働いていた職場へは産休後に戻ることができないとのことで(派遣社員は保障されない)事務職を退職。
新しい仕事を探すことになった。
どうにしても娘がいて仕事を探すのはだいぶ無理があったので、保育園の二次募集に応募。
少し距離はあるけど、4月から保育園に入れることになった。
ひとまず入れた保育園
ひとり親で保育園激戦区ではなかったので
求職中でも保育園に入園ができた。
でも3ヶ月以内に仕事を決めないと保育園は退園になる。
焦りがばれるかのように、娘は保育園になかなか慣れなくて、保育園でひきつけを何度か起こして呼び出され、午後まですら預けられずにいた。
結果3ヶ月で職探しなんてできるような状況になく
泣く泣く市役所で状況を説明したら、求職期間を延長してもらえてタイムリミットは年内にまで伸びた。
そして私は、お勤めではなく開業することを選んだ。
セラピストで起業
もともと時間で拘束されるのが嫌いだったのもあって、せっかく新しいことを選べるタイミングなので個人事業主として開業届を提出。
たまたまボディセラピーの講師をされている方とイベントで知り合い、その後その方からボディセラピーを受講。
勉強を進めながらスキルを磨きつつ
全く未経験のままセラピストとして開業した。
ちょうどSNSを使った女性起業が流行りだしたタイミングだったのもあって、Facebookとアメブロを使って集客をしていた。
表参道寄りの原宿(裏原って言うのかな?)にあるレンタルサロンを借りながらのサロンワーク。
幸いにもFacebookや知り合いを通じてお客様が来てくださり、開けてる日はほとんど誰かしら来てくださるありがたい状況だった。
ただ、未経験でもともと自分に自信がないタイプだったのと、ビジネスとしての仕組みや段取りをよくわからないままやっていたので
低単価の単発商品しかない状態でのサロンワークは想像以上に疲弊してしまい、
このままでは続けられない
と気づきビジネスやWEBに関する知識を学び、SNS集客の勉強などを始めた。
正直サロンワークは毎度、己の限界突破しながらやっていたので、仕事として成り立ちはしても、帰宅途中、電車で起きていられない程疲れ切っていた。
家に帰ってからは電源がプチンと切れたような状態で家事なんてやれないくらいの疲労感だった。
そんなこともあって、サロンワークメインだったのを、周りの要望に応える形でSNSやWEBに関すること、ビジネススキルを使ったバックオフィス的な仕事にだんだんと移行していった。
ずっと稼ぐことに焦っていた
もともと、父も母も若くして結婚していたので
そう裕福な家庭環境ではなく、
お金に関して拗らせていたところがあった。
苦労して働かないとお金はいただけない
働かざる者食うべからず
人前でお金の話はしてはいけない
そんなよくある昭和世代育ちだったので、自分から苦労を買いに行くようなこともよくしていた。
というかそれが正しいと思っていたし、それしか知らなかった。
どうしたらいっぱい稼げるんだろう
そんな事を思いつつお金にはいつも不足感を感じていた。
信頼していた人からの紹介で起業塾へ
サロンワークでボディセラピーにカードセッションも加えたタイミングで、もともと良くしてくれていた方が起業塾を紹介してくれた。
情報収集は趣味みたいなものなので
前からメルマガを読んでいたとある起業家の人の系列で起業塾をしている人だった。
紹介してくれた方とは仲良くさせてもらっていたし
その人がうまく行ってるみたいだから、と有料の個別相談に参加した。
その後、あんな屈辱的なことが起こるなんて
その時はもちろん知るよしもなかったけど。
続く▶︎▶︎ 第4話 起業塾での屈辱 こんなはずじゃなかった
最初から読む▶︎第一話 母の死と離婚 突然のお別れ
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