![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/169139559/rectangle_large_type_2_72058327a0d06af1cb05b34c58293c04.png?width=1200)
彫師になったキッカケ①
過去の現実と向き合う
僕は過去に彫師をしていた事を営業上、公にしている。
とは言え少しでも反社のイメージを持たれたくなくて
今ではタトゥーアーティストなんて言ったりもしている。
職業柄、彫師=反社との繋がりと誤解する方もいるが
実際の僕の作品は反社によく見る和彫りではなく
洋彫りのトラディショナルやニュースクールなど
ポップでカラフルな海外でよく見る「TATTOO」である。
![](https://assets.st-note.com/img/1736280183-q7XBP39rAnUmcHYCJfvxQjg5.jpg?width=1200)
DEATHorGLORY TATTOO STUDIO(※)という看板で
当時、洋彫りを中心としたアーティスト活動をしていた。
彫師をはじめるにあたりその先に待ち受けるのは
死か栄光か?そんな思いが由来のスタジオ名だ。
※現在は海外に同名のスタジオがあるようですが
僕はすでに廃業しているため別のお店です
甲府のクラブイベントにも月一程度、出店し
女性客の割合も比較的多く、ネイルタトゥーもあり
反社とは程遠いオープンな要素の強い彫師でもありました。
それでも現在も世間の風当たりはまだまだ強く
クリーンなイメージとは程遠い世の中。
僕自身が元彫師を名乗るのは
クリーンな運営をしている当社にとっては相反する、
まさにDEATHorGLORYで例えれば
完全に「DEATH」なイメージを損なう、マイナス点である。
僕がマイナス点も隠さず公にしているのは
面接の際に隠し切れない場所にもタトゥーがある為だ。
どうにも物理的に無理なものは仕方がない。
なので面接で初対面した際には必ず
「過去にタトゥーアーティストをしていた経緯があって、こんな状態なんだ」
という旨をまず最初に伝えるようにしている。
実際それで誤解が解けた場面が数多くある。
僕自身が会社の健全なイメージの足枷になっている事実もある。
「消せるならもんなら消したい」これが本心。
今回は、今の自分にとっては
そんな事情で不憫に感じているタトゥーを
実際に彫る側として生業にしていたキッカケを話そうと思う。
物心ついた頃
僕は3人兄弟の長男で下に妹が2人いる。
幼少期は、妹たちと過ごす事も多く
おままごとなど、女の子の遊びが中心で
女の子として、長髪でスカート穿かされ
育てられた時期もあった。
そんな事もあって、
絵を書くのは決まって
女の子の絵ばかりで
新聞チラシの裏が僕の定番のキャンパスで
一日中、女の子ばかりを書いていた。
そこから小学4年生の頃に、初めて漫画と出会い
当時、絶大な人気をすでに誇っていた
「キン肉マン」の絵を書きだして、
やっと女の子の絵から卒業する。
中学生の頃には近所の不良仲間たちと
つるむ事が多かったが同時に
陰キャの漫画好きなオタクとも
自作の漫画を交換など楽しんでいた。
その多方でエアブラシなどで女性のソフトビの
フィギアなどをガチ制作したり
(当時は女性フィギアなどオタクと変態扱い)
不良仲間との活動と同時にオタク活動と
どっちつかずな学生生活を続けていく。
最終的に絵描きに憧れて
美術デザイン科を目指す事になり、卒業アルバムでは
ボンタンを履いたオールバックのへんてこな
ハイブリット美術部員が爆誕した。
地元の仲間だけでなく、絵をキッカケに待望の
オタクな友人を、初めて学生生活で作る事が出来た。
絵と出会えた事はある意味、学生生活を送る上での財産となった。
挫折と高校時代の虚無感
美デ科を目指して、高校入試を目指していたある日
美デ科の入試試験を受ける為の、適正試験を受ける事になった。
しかし結果は適正試験不合格。
人生で最初の挫折を味わい虚無感を抱えたまま
結果を踏まえ私立の普通科高校へ進学する事になる。
高校は私立の偏差値が低い遠方の学校で
3年間電車で片道30分かけて通った。
金銭的にも親には苦労をかけてしまった。
偏差値によって1組から4組までクラス分けされ
1~2組の成績優秀組は、3年間女子と共学。
成績の悪い3~4組は3年間、全て男子で構成され
スポーツ特待と、バカと、ヤンキーしかいない。
謎の推薦入学だったが、僕は無論バカの部類である。
3年間男子だけのクラスで担任も教室も一切変わらず
女っ気もなく学校内で恋愛活動など程遠い
本当につまらない色気のない3年間だった。
当然、学校以外のプライベートな時間で
恋愛探しをするしかなかった。
遊びの方に熱が入るのも必然である。
ちなみにポイのクラスは共学で本当羨ましかった。
しかもあろうことか、
その学校は当時ボチボチのヤンキー高校だったので
時代錯誤したリーゼント頭の先輩が大量に沸いていて
6両編成の通学列車の、後ろ3両は毎日タバコの煙で真っ白だった。
自動車科もあった為、特にバイク好きのヤンキー率高め。
正直そんな「特攻の拓」のヤンキー漫画の世界が
現実に目の前で起きてて入学当初はカーストが
把握出来るまで何か起きないかドキドキだった。
![](https://assets.st-note.com/img/1736276293-A4lnq7bekxgNK2pFd5CoIvf3.jpg)
ただ幸い地元がJ地区出身の
同胞の先輩数名が可愛がってくれてて
特に先輩にシメられるような事など一切なく、
平穏無事に凄し、こんな所でも地元の恩恵に救われた。
そんな高校生活、卒業直前で
すでに内偵も決まっていたが
ポイのクラスの男子の一人へ
暴力沙汰を起こしてしまい
チンコロされて停学と内定も取り消し。
まさかの僕かよ、と自業自得であるが
ギリギリで就職先も決まり
なんとか無事、卒業出来たのは
通わせてくれた親の手前、正直ホッとした。
そんな高校時代は
プライベートではやっぱり地元の仲間が中心で
遊ぶことが楽しくなっていて、
いつの間に絵を書く事を
しなくなってしまった。
地元では、アメリカンバイクブームが始まって
地元の先輩たちは、中型免許を取得し
まるでハーレーの様なアメリカンバイクを乗り出して
地元の先輩たちを中心としたチームが
地元紙でも取り上げられ
一躍アメリカンブームが県内に拡がっていった。
僕自身もそんな先輩や、仲間と知り合う内に
今までヤンキー文化しか見た事なかった僕は
ロック、バイク、アメ車などを中心とした
アメリカンカルチャーの魅力にドハマりしてしまった。
不良漫画のクローズでいう、まんま武装戦線みたいなやつだ。
![](https://assets.st-note.com/img/1736268397-P2vd3uUfOoaQpBxMlme7ACHy.png?width=1200)
当時の僕には刺激的で絵の事が霞むくらい
眩しく映った先輩たちのあの日の姿を忘れる事はないだろう。
高校卒業後も、ドはまり具合は変わらず
僕自身もバイクの後ろでは、もう満足出来ずバイクを購入して
仲間たちと乗り回すようになるのだが、
そんな中で僕は今までと違った形で「絵」とまた向き合う事になる。
TATOOとの出会い
僕が初めてアメリカンタトゥーを見たのは
やはり地元の先輩たちで革ジャンから覗く
色鮮やかなタトゥーが物凄くお洒落で格好良く見えた。
でも実際に興味を持ったのは地元の幼馴染で
このブログでもたまに出てくる友人のA太郎だ。
大きな声では言えないが
彼がまだ未成年の頃、知り合いのスタジオで
地元の同級生の中で初めてタトゥーを入れた。
A太郎も地元でアメリカンカルチャーに
影響を受けた一人で
彼はのちにバイカーからローライダーを経て
全身チカーノ系のタトゥー男へと変貌する。
![](https://assets.st-note.com/img/1736279877-gaxYlCEFsOc8nXLH1JjtpI4k.jpg)
僕は彼の腕に彫ったチカーノ特有の
ブラック&グレーの洋彫りを目の当たりにして、
腕を手に取り凝視し、とても興奮したのを覚えている。
まだ彫りたての生傷のままの
タトゥーが生々しくて
僕には、それが不思議と痛みに耐えた勲章に見えた。
施術時はどんな様子だったか、気になる事を色々聞いた。
「入れてみたいな」
これが僕自身がタトゥーを入れようと思ったキッカケだ。
当時の僕は、身近な人が整形して、自分もしたいなと思う
現代っ子たちの気持ちと、
さほど変わりない感覚なのを覚えている。
初めてのTATTOO
高校を卒業してすぐタトゥーを彫りに行った。
当時のタトゥー雑誌を読み漁り、
自分好みの作品を掲載している、お店をピックアップ。
最終的に決めたのは、当時渋谷で一時的に活動していた
北海道に拠点を置く、REDHOT TATOOに決めた。
彫る場所は、左の二の腕と
初心者ならではの場所に決め
事前に希望の図柄を送った。
それを基に作品を作ってくれるとの事で、話はまとまり無事予約。
当日は電車に乗って渋谷へ行き
指定されたマンションへ。
どんな人でどんな事を一体されるのか?
違法性はないのか反社の関りは大丈夫か?
まるで気分はメンエスに向かうお客さんのようだ。
実際に行ってみるとそこは普通のマンションで
インターホンを押すとすぐに彫師が出迎えてくれた。
強面ではあるが未経験の僕に親切に説明してくれる。
日帰りで仕上げたかったので長丁場になると告知され、
その親切そうな顔から再び強面な表情になり
その後は約6時間、滅茶苦茶ぶっ通しで、彫られまくった。
実にこのあと滅茶苦茶SEXしたばりの衝撃である。
![](https://assets.st-note.com/img/1736281661-m9NtexYzHhqLUyfXSrMj6JsW.jpg)
切れないナイフで、切り刻まれるような独特の痛み。
痛みの中、救いの手になる、グリンスの優しい感触。
飴と鞭を交互に使われて、初のタトゥー体験。
何とか長時間の痛みを超え、6時間後、無事完成となる。
僕の人生で一番に入れたタトゥーは
「ブラック&グレイのジョーカー」だ。
![](https://assets.st-note.com/img/1736282977-RhWK2gDO8CAtuLTS1H6xvfIo.png?width=1200)
色鮮やかなカラーに憧れていたのに
A太郎の影響をモロに受けて
ブラック&グレイにしてしまった感は否めないが
これは、これでまた、カラーでもなく、和彫りでもなく
白黒のコントラストが独自で、渋くていい。
ジョーカーをチョイスしたのは、
たまたま仲間の自宅で
見ていたローライダーマガジンの、
アメ車のボディにグラフィックで書かれていた
デザインが結構好みで、ピエロぽいし、
お調子者の僕に合ってて
まあコレでいいかと、実に適当である。
とにかく1日でも早くタトゥーを入れるという
既成事実を作る事が一番の最優先だった。
「みんなと同じ土俵で早く会話してみたい」
昔から探求心豊富な僕は興味のある事に対して何でも体を張る。
その異常なまでの探求心が、のちに
この仕事をするようになって、
未知なる性に関する知識に異常なまでの探求心を持っている。
興味の為ならぶっちゃけスカトロ以外は
何でも出来ると自負している。
だいぶ話は脱線したが何はともあれ
この日を境に
彫師になる僕の物語がスタートする事となる。