【忘れえぬ人#3】映画「PERFECT DAYS」を観て、幸田文さんを思いだした
映画「PERFECT DAYS」に、なぜ幸田文さんの随筆集『木』が!?
役所広司さんがカンヌ国際映画祭で主演男優賞を受賞した映画「PERFECT DAYS」(巨匠ヴィム・ヴェンダース監督・2023年)に、こんな場面が出てきます。
役所さん扮する公衆トイレの清掃人ヒラヤマが、仕事を終えて、古書店を訪ねたときのことです。
その日、手に取った文庫本は、幸田文さんの『木』。
店主(犬山イヌコ)は100円硬貨を受け取ると、きっと彼は常連客なのでしょう、タメ口を利きます。
「幸田文はもっと評価されなきゃダメよね。おんなじ言葉使ってんのに、どうしてこんなに違うのかしらねえ」
その足で、ヒラヤマが下町のなじみの小料理屋に顔を出すと、ママ(石川さゆり)が「今日は、なんの本読んでるの?」
彼が本の表紙を見せると――、
ママ「こうだあや、木、エッセイ?」
ヒラヤマ「読んだことある?」
ママ「ううん(笑)ヒラヤマさんはインテリね」
わたしはこれらの場面を観て、幸田文さんとのはるか昔の短い会話を思いだしていました。
「皇居の石垣は何の石か、ご存じ?」
昭和の五十年代、都内のたしか文京区のご自宅をお訪ねしたとき、幸田さんはおうちの外を掃除しているところでした。
まっさらな割烹着に着物を召した女性の後ろ姿に、てっきりお手伝いさんかと思い、声をかけると、ご本人だったのです。
幸田さんは手を休めることなく、わたしは風に散った枯葉を竹箒で集める姿をじっと見つめていました。
しばらくして、手招きされたおうちの中は、品の良い調度品を備えただけの、なんとなく寺の宿坊のような澄んだ空気に満ちていました。
挨拶がわりの雑談がつづき、幸田さんは聞くともなしに、こんなことをおっしゃったのです。
「子どもが近所に住んでいるのだけれど、ボタン一つですぐつながるホットラインを付けろとうるさいの。高齢の独り暮らしは心配なんでしょうけど、私、そんなのご無用と断りました」
幸田さんは作家として名声をはせながら、お手伝いさんも雇わず、家事はすべてご自分一人で切り盛りされているとのことでした。
おそらく、父・幸田露伴(代表作『五重塔』)の厳しい躾のもとで育てられたためか、お子さんにも頼らず、何事もご自分の流儀で暮らさないと気が済まなかったのでしょう。
――さて、仕事本番の日です。
会社が奮発して日本交通のハイヤーを用意してくれたので、閑静な住宅街からお相手の待つ赤坂の有名な日本料理店に向かってご案内し、皇居に差し掛かったときのことでした。
皇居のお堀の石垣を見つめ、幸田さんは「あなた、あの石垣は何の石かご存じ?」
わたしはとっさに思いつかず「××石」と答えたら、「違いますよ」とぴしゃっと言われ、車内はしんとしてしまいました。
あとで調べてみると、その石は静岡県伊豆産出の丈夫な<安山岩>で、幸田さんは知っておられたのでしょうが、緊張して黙りこくっている当方を気づかい、話題を振ってくださったのではないか、今にいたってはそんな気がします。
都会の孤独者と随筆集『木』との謎めいた関係
でも、映画「PERFECT DAYS」に、なぜ幸田さんの短篇集『木』が登場したのか、その謎はなかなか解けませんでした。
映画の冒頭で、強風にざわめく大木の枝葉が映ります。
主人公ヒラヤマの夢のシーンです。
また、映画のところどころで、おそらく幼児期の不幸な思い出とオーバーラップして、木漏れ日とともにチラチラする幻想的なシーンがインサートされ、日中、寺の境内でヒラヤマが昼食を取るときも、そばにある大木が映し出されます。
幸田文さんの『木』(新潮文庫)は、えぞ松、藤、ひのき、杉などからポプラまで、木を観察したり木に会いに行ったりした随筆集ですが、「藤」の章には、次のような記述があります。
この文章で、「ちっとばかり」に江戸っ子気質が表れていると思ったけれど、それに続く「うるむ」という言葉に、ヒラヤマの夢と現実に木がたびたび登場する理由(わけ)がなんとなく氷解したような気がしたのです。
近頃の言葉でいえば、木から醸し出される「癒し」ということになるでしょうか。
(わたしは屋久島で古木に手と耳で触れたとき「癒し」をもらった体験があるので、そう思うのかもしれません)
都会の孤独者ヒラヤマと木との静かな対話、そこでどんな言葉が交わされたのか。
ヴィム・ヴェンダース監督一流の“幻想の罠”にこちらがはまってしまったせいかもしれませんが、「ベルリン・天使の詩」といい、「パリ、テキサス」といい、現実と幻想がないまぜになった監督作品の、ドラマがあるようでない豊穣のドラマ、それらはいつも謎めいていて、今回は東京の昭和ノスタルジー(これは必見です)までもが伝わってきて、ものすごく楽しめました。