【熱闘スタジアム#1】野球伝来150年~横浜ベイスタの優勝を夢見て
【トップ画像】今も部屋に飾っている1998年の横浜ベイスターズ優勝記念ポスター(上半分の一部)。胴上げされているのは、就任1年目の権藤博監督。
「決戦は金曜日」のはずだったが
今年はニッポンに野球が伝わってから、ちょうど150年になるという。
その記念すべき年に、24年ぶりの横浜ベイスタ―ズ優勝を夢見る人は、星の数ほどいるのでは。
そのファンの悲願にこたえ、横浜ベイスタは、ほぼ絶望的と思われた首位との17.5ゲーム差を連勝につぐ連勝で縮め、4ゲーム差まで猛追していた。
ところが、8月26~28日のヤクルトとの首位決戦は、3連勝の目論見がものの見事にはずれ、1ゲーム差に詰め寄るどころか、逆に7ゲーム差に広げられてしまった。
ふりさけみれば真黒にぞ……ヤクルトとの3連戦初戦は、あのドリカムのヒット曲「決戦は金曜日」のフレーズ「♪戦闘の準備はぬかりない退がらない」の覚悟で臨んだはずなのに、次のような残念な結果に終わってしまった。
《8月26日・第17回戦》
――先発の大貫投手は、高温多湿(*1)にやられたか、マウンドに上がったばかりだというのに、額から首筋にかけて大粒の汗が光り、決戦初戦の緊張もあったのだろう、どこか体調がすぐれない様子で、立ち上がりからボールが高めに浮き、甘いコースをことごとく打たれて、5回途中で降板。その後の継投にも失敗(*2)し、牧と戸柱の本塁打も及ばず負けてしまった。
(*1)たとえば、8月3日の対広島戦、ハマスタは夕方5時になっても気温が33℃もあった。すり鉢型の底にあるグラウンドの地表温度はもっと高かったにちがいない。
(*2)大貫投手が降板したあとの継投は、宮國-三上-中川-坂本だったが、先発ローテーションの坂本投手を中継ぎに回すなど、疑問が残る試合運びだった。
《8月27日・第18回戦》
――先発の石田投手は、ピンチを迎えながらも0点に抑えるまずまずのすべり出しだったが、目立たない存在だったキブレハンに3回にホームランを打たれてから、ガタガタと打ち崩され、終わってみれば、ピッチャーを6人も費やし、16―4の大敗。
さすがの三浦監督も、怒りをこらえてのコメントを残し、球場を去った。
ガゼルマン投手の起用に疑問あり
ここで、“三浦采配”に常勝のおごりがなかったか――とりわけ継投策について考えてみたいと思う。
なかでも、この試合で初登板したガゼルマン投手の起用だ。
ただでさえ、疲れが蓄積する夏場を果たして乗り切れるかどうか、それが長いペナントレースをたたかう先発投手陣の最大のキー・ポイントと言われる。
だからこそ、トレード・移籍期限ぎりぎりに入団したガゼルマン投手は、当然、先発要員として喉から手がでるほど欲しい人材だったはずだ――とファンならそう思った。
結局、ガゼルマン投手はわずか1回で4本のヒットを打たれ、3三振を奪いながらも自責点3でマウンドを降りた。
さぞや、ガゼルマン投手、大リーグ出身のプライドを傷つけられ、帰国してしまうのではないか、とさえ心配したが、平均年俸は低くても、明るくチームワークのいい横浜のカラーにすっかり溶け込んでいる様子だったので、ひとまずホッとした。
《8月28日・第19回戦》
――先発は、一時中継ぎに回っていた京山投手だったが、失点しながら速球で押すピッチングで、“勝利の方程式”のリレーにつなぎ接戦に持ち込んだ。
しかし、“村神様”とファンからあがめられるヤクルトの天才バッターの一撃で、あえなく夢はついえてしまった。
ヤクルトとの首位決戦で、なぜこのような継投策をとったのか、そして<8月の横浜快進撃>とはどのようなものだったのか、それらについては次回まとめてみたいと思います。
(つづく)
【後記】
★8月30日(火)、中日ドラゴンズとの試合を横目で見ながら書いていたら、今永~入江の好投と牧~オースティンの本塁打などで、どしゃ降りの雨の中ではあったけれど、6-0と快勝!
★なによりも、オースティンの代打ホームランが嬉しく、チーム全体がさらに活気づくのがTV中継画面から伝わってきた。この<オースティン効果>については次々回で触れてみたいと思っています。
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