【2023年の阪神劇場】日本一パレードと「奇跡のバックホーム」(その1)
【↑トップ画像】大阪御堂筋の沿道に詰めかけた約35万人の阪神ファンに応える岡田監督たち。(2023/11/23放送・TBS系「ゴゴスマ」生中継より)
阪神日本一パレードの“光と影”
やけに暖かい秋晴れのもと、阪神タイガースの日本一パレードがおこなわれました。(11月23日)
大阪御堂筋と神戸三宮のパレードは、日本シリーズをたたかったオリックス・バファローズのパリーグ制覇祝勝との同時開催で、延べ100万人が沿道から監督・選手の名を叫び、「ありがとう」と歓呼の声をあげました。
一方で、大阪府・市の職員数千人が沿道整理のため、本来は自主的であるはずのボランティアに強制的に動員され、労組が休日勤務手当等を要求したにもかかわらず、吉村府知事はそれをつっぱね、不当労働を強行しました。(11月23日現在)
吉村知事と同じく<維新>の橋本元府知事・市長のヒステリックなまでの労組嫌い(潰し)の悪しき伝統なのかもしれませんが、阪神ファンのひたむきな熱い思いに冷水を浴びせる結果になってしまったのはとても残念です。
また、阪神の監督・選手たちが立ちっぱなしで手を振り続けた、オープントップバスの左右両面には大手銀行・生保・電力・ガス・電器などの超大企業の広告がずらりと並び、東京五輪と同じく、今や“金食い虫”となった大阪・関西万博の<維新>による人気浮揚のデモンストレーションのようにも映りました。
ちょっとやぶにらみが過ぎるかもしれません。
けれども、“今だけどんだけ儲けだけ”の<経団連>と関西で絶大な支持を受けて我が物顔の<日本(大阪)維新の会>をキーワードにすれば、<パレードと万博>はピタリと一致するのです。
早逝した横田慎太郎選手のユニフォームが日本一に舞った!
気分を変えまして――。
その18日前(11月5日)、阪神タイガースが日本シリーズを制覇したTV中継を観ていて、いちばんグッときたのは、胴上げの瞬間です。
岡田監督が宙に舞ったそのとき、選手たちの円陣のなかに、脳腫瘍のため28歳で早逝した横田慎太郎選手のユニフォームが翻りました。
阪神に同期入団した岩﨑投手たちが、横田選手が現役時代に身に着けていた背番号24のユニフォームをかわるがわる頭上高く掲げ、故人といっしょに勝利を喜びあったのです。
巨人との公式戦に行われた横田選手の<追悼セレモニー>
この感動的なシーンは岡田監督の意向によるものではないか、そう思ったのは、今年7月25日に甲子園球場で行われた<横田慎太郎さん 追悼試合>を「プロ野球ニュース」(CSフジテレビ)で見たからでした。
この日の巨人戦で、逆転2ランを放ちチームを勝利に導いた大山選手は、ヒーローインタビューで「ヨコ(※横田選手)が打たせてくれた」とじーんとくるようなコメントをしていたのが印象的でした。
これまで、球団OBが亡くなると、ユニフォームの肩に黒リボンを付けるなど追悼の意をあらわすことはあっても、公式戦さなかに追悼セレモニーを行うというのは珍しいことです。
まして、横浜ベイスターズとの試合では、たしか7回のラッキーセブンだったと思いますが、その合間に行われる、女性チアリーダーチーム<ディアナ>とファン公募チームとの対抗レースなどで運営が数分間中断することを指してか、「なんで、横浜はイベントが多いんや」とぼやいていた岡田監督。
にもかかわらず、<追悼試合>のセレモニーを催した阪神球団と岡田監督は、この試合で9回にバッテリーを組んだ横田選手と同期入団の岩﨑投手と梅野捕手、同じく岩貞投手ほかのみんなから「やんちゃなところもあったけど人一倍まじめに練習していた」(梅野捕手の追想を要約)という横田選手が誰からも好かれ慕われていたことを知っていたからではないでしょうか。
平田ヘッドコーチこそ<情>の人かもしれない
さらに時計の針を戻して、<横田選手の引退試合>の模様をYouTubeで観たら、<情>の中心は、もしかしたら当時2軍監督(現・1軍ヘッドコーチ)を務めていた平田勝男さんではないかと思うようになりました。
――2019年9月26日、2軍ウェスタンリーグの対ソフトバンク最終戦で<横田選手の引退試合>(阪神鳴尾浜球場)が行われ、横田選手は9回の最後の守備につくはずでした。
ところが、平田監督の采配(はからい)で、「横田の全力疾走をファンの目に焼きつけたい」と、わざわざ8回表、2対1とリードし、2アウトまで取った競(せ)った場面で横田選手を出場させたのです。
平田監督は、横田選手がベンチを飛び出し、猛スピードで守備位置につくのが大好きだったからです。
あの有名な「奇跡のバックホーム」(*)が起きたのは、その直後のことでした。
(*)2022年に自伝『奇跡のバックホーム』(幻冬舎)が刊行され、同名のドラマ(間宮祥太朗主演・ABCテレビ制作)が放送され、母の中井由梨子さんが『栄光のバックホーム』(2023年11月、幻冬舎刊)を著わしている。
【追記】
★横田慎太郎選手のことを書きながら、広島カープで“炎のストッパー”と呼ばれ、ファンから愛されていた津田恒実投手のことを思いだしていました。
★津田投手は最速153キロの剛速球で鳴らし、1989年には最優秀救援賞に輝きながら、脳腫瘍により32歳の若さで亡くなりました。(1993年7月20日逝去)
★津田投手は投げ終えると同時に足を高く蹴り上げる独特のフォームで印象に残っていますが、その姿はまさしく<闘魂>、昨年72歳で亡くなった村田兆治投手(ロッテ)の“マサカリ投法”とともに、いまだに忘れられません。