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【韓国ドラマ&映画のすごさ】ドラマ「シグナル」、映画『はちどり』『君の誕生日』~<エンタメ>と<社会性>のコラボ(その3/終)
(↑トップ画像)映画『はちどり』のラスト近くのシーン
『はちどり』&「シグナル」はソウル聖水大橋の崩落事故を
映画『はちどり』(2018年、キム・ボラ監督脚本、パク・ジフ主演)は、どこにでもいそうな女子中学生ウニの内面を描いた作品だが、この少女ウニの日常に影を落とす大惨事があった。
それが「三豊デパート」事故の前年、1994年10月21日朝7時すぎに起きたソウルの漢江を渡る聖水(ソンス)大橋崩落事故(32人死亡)だ。
☛詳しくは<1994年「聖水大橋崩壊事件>(2021年韓国旅行サイト<creatrip>発信)
悲惨だったのは、大橋を通過中の車に続けて、減速していた市中バスも落下し、通勤通学者が多数犠牲になったことだ。
その崩落事故によって、『はちどり』の少女ウニがいちばん信頼していた人(※ネタバレになるので伏せます)が亡くなってしまい、全校の生徒たちにも大きなショックを与え、学校は臨時休校にせざるをえないほどだった。
――主人公ウニに扮したパク・ジフは、心の繊細な動きを顔の表情で巧みに演じていたが、漢文塾の学生アルバイト講師キム・ヨンジを演じたキム・セビョク(名匠ホン・サンス監督『それから』ほか出演)の演技も強く印象に残った。
キム・ヨンジは、誰しもがうらやむソウル大生(日本の東大生に相当か)なのに、明日に絶望しているようなその鬱屈とした表情が“韓国の日陰”を表しているように見えたのだ。
(※この“韓国の日陰”の部分がキム・ヨンジのどこからくるのか、いずれ突き止めてみたい)
このウニにとっても身近な大惨事が、大ヒットドラマ「シグナル」(2016年/全16話、イ・ジェフン/キム・ヘス主演)にも出てきて、聖水大橋崩落事故がいかに韓国社会に衝撃をもたらしたかが、刻みつけられている。
映画『君の誕生日』は遺族の目を通してセウォル号沈没事故を
2014年4月16日には多くの修学旅行生を乗せた「セウォル号沈没事故」(304人死亡うち修学旅行生250人死亡)が起きた。
映画『君の誕生日』(2019年、ソル・ギョング/チョン・ドヨン主演)では、その遺族たちの姿を真正面から見据えている。
この作品には当ブログで以前触れたので、省略するけれど、これらの3つの事故は、いずれも「事件」とも呼ばれるように、人災である。
三豊デパートと漢江・聖水大橋の崩落事故は、大手ゼネコンによる手抜き工事が原因と言われる。
セウォル号沈没事故は、定員オーバーや積み荷の過重で船体が傾き、乗客の避難誘導を怠った船長がいち早く船から逃亡するといった海難予防と船乗りの倫理がゼロで、すべて利益優先主義によるものと言われた。
さらに、当時の朴槿恵(パク・クネ)大統領(※辞任後に収監)が所在不明の“8時間の空白”をつくって、救助の遅れに多大な影響をもたらすなど、まぎれもない複合的な人災だった。
「過去を忘れる者は、過去を繰り返す運命にある」
では、ここに挙げた“三大事故”は、建設企業や海運会社の手落ちというだけだったのか。
もしかすると、<漢江の奇跡>(1960年代)以降の急速な経済成長を急ぐあまり、財閥グループの建設業や海運業の法令遵守(コンプライアンス)のチェックを時々の政府が怠ったせいではないだろうかという疑問は残る。
そう思うのは、日本にも似たような事故が多発していたからだが、残念ながら日本では、悲劇を忘れまいとする映像作品が最近、極端に少ない。
そこで、今回の締めとして、ユダヤ人に「命のビザ」を発給した「日本のシンドラー」と呼ばれるリトアニア領事代理(戦時中)を描いた映画『杉原千畝』(2015年)の監督チェリン・グラックさんの言葉を警句としたい。
「日本社会には、『言っても仕方がないことは、話さなくていい』という風潮がありませんか」「見ざる、聞かざる、言わざる、というけれど、「知らざる」という4匹目のサルがいる」「負けてしまった戦争なのだから、もういいじゃないか、忘れてしまおう…。そんなマインドが日本にはあるように感じますが、それはやめようと言いたい。哲学者ジョージ・サンタヤーナの言葉を借りれば、『過去を忘れる者は、過去を繰り返す運命にある』のですから」
「知らざる」という4匹目のサルがいる」という言葉は重く、耳に痛い。
だから、何度でも言う――韓国の映画・ドラマ作家たちの「過去を忘れまい」とする意志は輝かしく、そのリンとした気概たるや、すごい!
【後記】
◆中学生のわたしは、1963年11月9日夜9時すぎに発生した、横浜市の鶴見駅~新子安駅間の「鶴見事故」(旅客列車と貨物列車による列車脱線多重衝突事故)にあやうく遭遇しそうになったことがある。
◆死者161人、重軽傷者120人余という悲惨な大事故だったが、事故現場に近い線路脇の家に住んでいたМ君は、「警察や救急車のサイレン音や血なまぐさい臭いはすごかった」とのちに話してくれた。
◆「鶴見事故」を免れたのは、運としか言いようがない。
当時、横浜駅の西口改札口を出たすぐそばに飲食店街があり、いつものように部活を終えて、好物のコーンクリーム掛けの特製ソース焼きそばを食べに寄った。
そして、京浜東北線の上り電車に乗って自宅に着くと、テレビが臨時ニュースを流していた。
寄り道せずに2、3本早い電車に乗っていたら、どうなっていたか。
◆「鶴見事故」が人災だったのかどうかは不明だ。
だが、2005年4月25日の「福知山線脱線事故」で死亡107人(重軽傷者562人)の悲惨な事故が起きてしまったのは、おもにJR西日本本社による運行の過度なスピード化、経営効率化が事故原因だったと言われ、まぎれもない人災であった。
――『過去を忘れる者は、過去を繰り返す運命にある』