【熱闘スタジアム-2】横浜ベイスタ、「8月の快進撃」を味わいつくす
「たら、れば」は、勝負の世界では禁句だけれど
とにかく暑かった。
気候変動のせいだろう、激しいスコールとゲリラ豪雨に何度も見舞われた。
そんな疲れる8月を横浜ベイスターズは、18勝6敗で乗り切った。
でも、最終盤のヤクルトとの首位決戦に3連敗したのは痛かった。
「たら、れば」は勝負の世界では禁句とされているけれど、もし3連戦のうち1勝でもしていたら、直後の中日3連戦に全勝したのだから、今頃は5ゲーム差(9月1日終了時)。
今のチームの勢いなら、なんとか射程距離の範囲内だったと、どの野球解説者も残念がる。
しかも、9月のシーズン最終局面に入ったら、敗け数と残り試合数に注目すべきだという解説者がいる。
最終勝率が最終順位を決めるから、現在のゲーム差よりも重要なポイントになるのだそうだ。
まず敗け数のほうは、横浜が52、ヤクルトが47、これは差引5ゲーム差に相当するそうで、残り試合数は、横浜が28、ヤクルトが24(いずれも9月2日試合終了時)だから、勝率で上回る可能性がまだ残されているし、残り試合数が多いほど有利になるという。
また、別の解説者は、9月の最終盤で危険なのは、ピッチャーが相手バッターに対して、この球種とコースなら打たれないだろう、この守備シフトならヒットにせずに守りきれるだろう、といった「だろう」の見込み感覚にあるのだ、という。
天才にして、研鑽に励む“村神様”に学べ
たとえば、ヤクルト首位決戦で、横浜も“村神様”対策を当然立て、それまで彼のウィークポイントとされた“内角低め”を徹底的に突こう、そこなら空振りに仕留められるだろう、とバッテリー間で策を練ったにちがいない。
ところが、“村神様”は、3連戦最後の試合で、エスコバーの内角低めを突いた豪速球をピンポン玉のようにいとも簡単に右翼席に放り込んだ。
この決勝ホームランを打たれた瞬間、昨年の東京五輪(野球はこの大会で正式種目としては最後)にJAPAN代表選手として出場したヤクルト村上選手の、研究熱心な姿がよみがえってきた――。
村上選手は、翌日の決勝戦で対戦するアメリカチームのビデオを見ながらの全体ミーティングのあと居残り、タブロイドを手にして熱心にビデオに見入る姿が印象的だった。
アメリカの予告先発マルティネス投手(当時ソフトバンク在籍)がチェンジアップ(*)を多投すると予測して、ビデオからボールの握りや投球フォームで球種を見極めようと目をこらし、翌朝は素振りに余念がなかった。
そして迎えた決勝戦では、そのチェンジアップ(*)を「狙いどおりに打つことができて」(本人談)見事に先制ホームラン、2-0の勝利に貢献し、金メダルを獲得した。
(NHKBS1「侍たちの栄光~野球日本代表 金メダルへの8か月」より)
(*)「チェンジアップとは、相手バッターのタイミングを外すための遅い変化球です。一般的にはボールをわしづかみにするなどして力が伝わらないようにしながら、ストレートと同じ腕の振りで投げるボールで、少し沈むように変化します」
(ALPEN GROUP MAGAZINE – baseballサイトより)
したがって、こちらが十分に対策を立てて臨んだとしても、相手がそれを上回る対策を立てていた――“村神様”は“野球脳”にすぐれた天才的なバッターではあるけれど、人一倍研究熱心ということに“注視”しないと、“村神様”対策はおろか、その全貌の一端すらつかめないと思う。
☞村上選手は9月2日の中日戦でエースの大野雄投手からホームランを打ち、<22歳7か月-プロ最年少50号>を達成。「打率だけは(トップを)取りたい」と我らの佐野選手は奮闘していたが、これで≪三冠王≫を手中にしたという感じを強くした。
「勝ちに不思議あり、負けに不思議なし」(野村元監督)
ヤクルトとの首位決戦に臨むにあたり、横浜ベイスタに連戦連勝の驕(おご)りがあったとは、全試合を見てきたかぎりでは思えない。
でも、20世紀が終わる「ミレニアム」直前の1998年、横浜ベイスタを日本シリーズ優勝に導いた辛口の権藤博元監督なら、本拠地17連勝などに「浮かれてはいけない!」と口角を曲げて、コーチや選手をたしなめたにちがいない。
名将野村克也さんの語録に、「勝ちに不思議あり、負けに不思議なし」というものがある。
「勝ちに不思議あり」のほうは含意がありすぎて、正直よくわからないけれど、「負けに不思議なし」というのはおおかた察しがつく。
そこで、この夏の<横浜快進撃>を振り返ってみることにしよう。
きっと、すでに突入している<9月の過酷な日程>の行く末を占うことにもなるのではないかと思うからだ。
8月の<横浜快進撃>~その暑くて熱い道のり
まず前段として、7月末の球団の動きから――。
●7月29~31日 最大時に77人もの集団感染に見舞われた巨人との3連戦は中止
●7月31日 1、2軍合同の紅白戦開催⇒オースティン出場⇒1軍昇格確定
●8月1日 セ・パ両リーグ試合なし
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<8月第1週の熱闘>
★8月2日(火) 〇横浜5-広島2 [勝]今永5勝3敗 [S]山崎2敗21セーブ [HR]楠本3号
★8月3日(水) 〇横浜6-広島5 [勝]平田3勝2敗(先発:濱口)※延長11回
―8月4日(木) 降雨ノーゲーム(4回裏横浜攻撃中に中断、約1時間後に中止決定)
★8月5日(金) 〇横浜4-中日2 [勝]大貫8勝4敗 [S]山崎2敗22セーブ
★8月6日(土) 〇横浜1-中日0 [勝]入江2勝(先発坂本) [S]山崎2敗23セーブ
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<8月第2週の熱闘>
★8月7日(日) ×横浜0-中日5 [敗]ロメロ4勝6敗
★8月9日(火) 〇横浜3-阪神2 [勝]今永6勝3敗=完投!!
★8月10日(水) 〇横浜3-阪神0 [勝]濱口5勝4敗 [S]山崎2敗24セーブ
★8月11日(木) 〇横浜4-阪神1 [勝]石田4勝2敗 [S]エスコバー4勝2セーブ [HR]佐野14号、嶺井5号
★8月12日(金) 〇横浜4-ヤクルト3 [勝]大貫9勝4敗 [S]山崎2敗25セーブ [HR]ソト10号
―8月13日(土) 横浜-ヤクルト 雨天中止
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<8月第3週の熱闘>
★8月14日(日) ×横浜1-ヤクルト4 [敗]坂本4敗
★8月16日(火) 〇横浜3-巨人1 [勝]今永7勝3敗 [S]山崎2敗26セーブ [HR]ソト11号
★8月17日(水) 〇横浜7-巨人3 [勝]平田4勝2敗(先発:濱口) [HR]ソト12号 宮崎6号
★8月18日(木) 〇横浜4-巨人3 [勝]伊勢3勝2敗1S(先発:ロメロ)[S]山崎2敗27セーブ [HR]佐野15号 16号
★8月19日(金) 〇横浜8-広島3 [勝]大貫10勝4敗 [HR]牧18号 宮崎7号 ソト13号
★8月20日(土) 〇横浜6-広島5 [勝]入江3勝(先発:石田)[S]山崎2敗28セーブ [HR]牧19号 宮崎8号
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<8月第4週の熱闘>
★8月21日(日) 〇横浜3-広島0 [勝]京山2勝1敗 [S]山崎2敗29セーブ [HR]楠本4号 京山1号 牧20号
★8月23日(火) 〇横浜4-阪神0 [勝]今永8勝3敗 [HR]佐野17号
★8月24日(水) 〇横浜4-阪神0 [勝]濱口6勝4敗 [S]山崎2敗30セーブ [HR]桑原3号
★8月25日(木) ×横浜0-阪神5 [敗]ロメロ4勝7敗
★8月26日(金) ×横浜3-ヤクルト6 [敗]大貫10勝5敗 [HR]戸柱3号 牧21号
★8月27日(土) ×横浜4-ヤクルト16 [敗]石田4勝3敗 [HR]牧22号 宮崎9号
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<8月第5週の熱闘>
★8月28日(日) ×横浜4―ヤクルト5 [敗]エスコバー4勝1敗2S(先発:京山)
★8月30日(火) 〇横浜6-中日0 [勝]今永9勝3敗 [HR]牧23号 オースティン1号
★8月31日(水) 〇横浜3-中日2 [勝]濱口7勝4敗 [HR]ソト14号 戸柱4号
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やっぱり、首位決戦の「負けに不思議」はなかった
<8月の熱闘=18勝6敗>の足跡をたどると、野村克也さんの「負けに不思議なし」という言葉の意味がよくわかる。
敗れた試合は、すべて先発投手が打ち込まれ、打撃陣の反撃が及ばなかったということに尽きる。
8月最後の首位決戦でも、大貫、石田、京山の先発投手が早々に失点を重ねてしまったうえ、ソトの打撃不振(守備ではタイムリーエラーも)、それに佐野と宮崎にここぞのヒットが出ず、満員のファンをがっかりさせた。
でも、対ヤクルト3連敗の敗因はそれだけだったろうか。
わたしが「不思議」だと思ったのは、前回も触れた継投策にある。
◎8月26日の継投
【先発】大貫~宮國~三上~中川~坂本
◎8月27日の継投
【先発】石田~ガゼルマン~中川~宮國~坂本~平田
◎8月28日の継投
【先発】京山~平田~入江~エスコバー~伊勢~山崎
もし首位決戦の覚悟で臨んだ試合なら、大事な初戦の中継ぎに<宮國~三上~中川~坂本>、また第2戦に<ガゼルマン~中川~宮國~坂本~平田>という布陣はなかったはずだ。
なぜ、第3戦の<入江~エスコバー~伊勢~山崎>という“勝利の方程式”で初戦から臨まなかったのか。
プロ野球選手だって、人間だもの
これには理由(わけ)があって、エスコバーと伊勢は、すでに総試合数の半分を登板していて、少し休ませるためベンチ入りすらさせなかったそうだ。
――そのような話を聞いて、腑に落ちた。
8月28日に先発した京山投手だって、中継ぎを経験して、初めてその大変さを思い知り、中継ぎ投手の負担を軽減するため、「先発でマウンドに上がったら、1回でも2回でも長く投げようと心に決めていた」と話していた。(残念ながら4回0/3で降板したが)
これは、勤め人の世界にもあって、同僚への気遣いは、とりわけジョブ・シェアリングの場面に発揮される相互扶助の精神の発露に通じるとも言える。
プロ野球選手の待遇改善を求める労働組合の性格を持った<日本プロ野球選手会>(*)の立場からしても、中継ぎ投手の、短期間とはいえ完全休養策は、横浜ベイスタの決断として正しかった――そう思い直した。
(*)外国人選手を除き、日本人選手のみ所属。現在は広島カープの會澤翼選手が会長。
さらに、もう一つ先発の補強と継投策についてわからないことがあるのだが、長文になってしまったので、次回。
(つづく)
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