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「中国拳法」書いた目的
日本において、中国の拳法に関する本を一番出しているのは松田隆智である。松田はちょっと習ったものを1冊、1冊と出版していたから、成美堂出版の「中国拳法」(鶴山晃瑞著)を嫌っていた。太極拳・形意拳・八卦掌と1冊に3冊分を納めてあるので、都合が悪いのである。
さて、私が「中国拳法」を書いた目的は、その技法が日本人の体質に向かないこと、その国に発達した武技は、その国の国民気質・体質に合ったものになっていることから、日本人が中国拳法をやっても本物の域に達することは難しい、ということを伝えたかったところにある。
これは、日本武道を外国人がやっているのを見れば想像できるだろう。
単なるスポーツ的アプローチなら力・スピード・動きで日本人より優れている者は多く、この意味では本物以上の人も多くいる。しかしながら、日本武道の存在価値は、日本の歴史、生活=サムライ文化、日本人の気質を知らなければ理解することが出来ないからである。例えば、道場に入るとき、稽古を始めるときにあいさつ「お辞儀」をする。幼児期からお辞儀を教わる日本人には、なぜここでお辞儀なのか、あえて説明は要しないが、ドイツ人・ドイツ社会にはお辞儀という作法習慣がないから、その意義・目的・所作をいちいち説明しなければならないなど、より理解を深めようとすればするほど、日本と日本人を知らなければならなくなるのである。
したがって、日本人が中国武術を習おうとすると同じことが起きる、中国文化を母体とする日本人でさえ、だからこそ中国文化の根底を理解することは至難のことである。松田のように時折台湾に行って習ったぐらいで本当の中国拳法を修得することは出来ない。