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二十七箇條截相のこと(破)

確かに、二十七箇條截相は、括切(くくりぎり=クネリ打ちのこと)から始まり、左右の猿廻、伊勢守の無刀取、燕飛の一部などなど、そして新陰流の極意の太刀で締めくくる、という構成ですから重複と言ってしまえばそのとおりかもしれません。

尾張柳生家6代柳生兵助平厳春(道機斎)の「陰流書」に「二十七ヶ条截相、八ヶ必勝は宗厳(石舟斎のこと)よりこれを用いず。」とありますから、尾張柳生家では表向き稽古はしなかったのでしょう。なお、尾張柳生家2代柳生如流斎利方の「討太刀目録」によると、八箇必勝は印可の太刀とされています。稽古しないというより習えないものだったのです。

一方、江戸柳家では宗矩の目録「見之巻」や「進履橋」に二十七箇條截相は掲載されており、八箇必勝ではなく、二十七箇條截相の急の太刀をもって皆伝伝授の太刀としていたそうです。
柳生十兵衛三厳著「月の抄」には、「老父(宗矩)いう、右之太刀をもって二十七箇條截相を稽古すれば、大形これにて相済むなり。」とありますから、この太刀群の価値を知り稽古していたのでしょう。江戸柳生系の目録には二十七箇條截相が載っていますから、技法も含め伝承もされたものだと思われます。
同じ技法であっても勢法の中に取り込まれたものと、核心部分だけに特化したものでは、見え方(理解の度合い)が異なるものです。形偏重の傾向に流されないための工夫でもあったのでしょう。

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