槍と合気道13
そんな藤平光一氏だが、現在は「精神を統一する合気道の普及団体」として、日本国内はもとより海外各地において活躍している。そして、植芝合気道総本部とは、組織的にも・行動的にも、その理合・素行方法等あらゆる面でことごとく対立し、お互いに激しく非難をし合っているから、世の中は面白いものである。しかし、それだけに部外者には、植芝合気道の実体は、外から見る限り不可解極まりないものがある。
財団法人合気会の定款どおりの実行者であり、植芝合気道普及の最大の功労者であった藤平光一(合気道十段)氏が、植芝合気道総本部と決別したのは今から5年前(昭和49(1974)年)のことである。脱会と同時に藤平氏は「気の統一会」の結成をなし、植芝合気道総本部の近くにその本部を置いた。そして、海外各地の合気道関係者あてに親書を発送した。「・・・今度創設した気の統一会は・・・気のある合気道である・・・」との内容を盛った檄文であった。当時の事情を電電合気杖道会の会報から紹介する。
-昭和50年7月25日発行 電電会報復刊第1号より-
「怪文章が海外で乱れ飛ぶ!!」合気軒柔之助(鶴山先生のペンネーム)
フランスの友人から手紙が来た。それによると元植芝合気道総本部の大幹部であった某師範が、欧米各地に所在する合気道関係者あてに怪文書をごっそりと配布したという。その要旨は「植芝合気道総本部は気のない合気道。私の合気道は精神統一ができる、気のある合気道」というものである。
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