大坪指方先生のこと11
八木:では、次に柳生正木坂剣禅道場師範の大坪指方さんにお聞きしたいと思います。当時、いろいろな流儀がたくさんあった中で、柳生流が選ばれて御流儀のなったということは、他流儀に比べて何か特色があったのではないかと思います。その柳生流の特色とはどういうものですか。
大坪:袋竹刀というものがあります。柳生新陰流では生竹を三尺三寸に切り、二尺五寸の革袋に入れ、素面、素小手で勢法(かた)を教習するのですが、この袋竹刀を通じまして何か一つの示唆を与えられるような気がいたします。それは当時の武道の修行というものは実にものすごく、激しいものです。傷つくのが当然のように考えられた。その時代に自他ともに傷つかず、生命を尊重して、しかも立派に武道精神をもって、武士の一つのたしなみ、またはそれ以上に教育の面においても伸そうというには、どうしてもこのようなものを使うことが一番いいわけです。
袋竹刀は今から約400年ほど前ですが、上州の上泉伊勢守が柳生に参りまして以来、それを用いています。ですから柳生流の理想とする無刀取りに通ずることですが、やがて力を用いずして戦国の騒擾(そうじょう)をなんとか収めることが出来るんじゃないかという理想もあったのです。
したがってこれを御座敷剣術といわれ、何かと批判はありましたが、そういう点において格調の高い、礼節正しい剣を通じて禅的なものを基調にした武士道的なものを建設したいというふうなものが、ちょうど平和期に向かう当時の為政者にもってこいの流儀として認められた、という点が特徴と言えるのではないかと思います。(続)