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武道と忍法(上)

武道と忍法に関する鶴山先生のメモを紹介します。
最近、戸隠流忍法三十四代宗家初見良昭(はつみよしあき)が、「戸隠流忍法体術」「半棒術・十手術・鉄扇術」など各種の本を立て続けに出版してきた。忍者をやる者は武士ではないので武道と言うべきではないのに、我こそが本物の古武道家だと称して書きまくっている。内容的には現代武道(柔道・剣道)に対する古武道という意味だが、この考え方は本物の武道論が出現する前座的役割からは必要なものであるとも思う。大東流の普及に至る漸進論法で言えば合気道があっての大東流とも言え、「忍法から武道」とする初見氏の意見も本物の武道を知らない者には予備的知識となるからである。
最近、西ドイツでは忍術がテレビでもされるなど大ブームであると聞く、アメリカでは数年前から忍術ブームが起きている。忍術から入ったとしても、いずれ本物の武道が知られるようになれば、と思う。
さて、「護身杖道」(鶴山晃瑞著)では、武術には、サムライ武法と捕方武法があると紹介した。すなわち「捕物術を主体とする柔術は、捕物技法の上から棒術(六尺棒)・半棒(鎖杖、棒の長さ3尺)・短棒(十手術)の3種類に分けられるのが徳川時代の原則である。(略)武士たる者は常に帯刀すべきが原則であり、棒術は刀を持つことが出来ない階層(農民、職人、商人)の護身用武器であるとの認識が、棒術に対する武士の通念であった。徳川時代に捕方用具として六尺棒の使用が制定されるようになってから、必然的に棒術は奉行所勤務の捕方(武士ではない者)が習う武術であると相場が決まってしまった。」
忍法を述べている初見氏にはその認識や区別がなく、忍法=武道であると解釈しているのだ。
ところで、大岡越前守が忍者集団(鉄砲集団とも)である根来衆(ねごろしゅう)を集め同心としたので、根来同心と呼ばれた。この同心は形式上武士の最下級に位置づけられたが、捕方武術の鍛錬をしていた。

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