尾張柳生と燕飛4
さて、この交換教授すなわち内家拳の影響を受け、流れるような燕飛六箇之太刀が生まれたものと思う。一方、清国では新陰流の影響を受け、内家拳(新陰流と同じく、一般の人は習えない)の形意拳をして無刀の形で発展させた。形意拳の歴史は新しく、基礎技法に新陰流が入っている。新陰流の刀法を知らなければ出来ない発想のものだからである。少林拳とは全く異なるものなのである。では、なぜ刀法(新陰流)を拳法(形意拳)に変えたか、というと清国の政策が関係しているからであった。明から清になると、清国政府は武術を禁止した、武備志を発禁にしたり、少林拳系もすべて禁止されたのである。そのためこれら武術は表舞台からは消え民間武術として伝承されることになった。禁止したからといって少林拳系技法がなくなるわけではないから、素手技法に対抗するため新陰流技法を参考に対応武術を整備したのである。また中華思想からすると、日本のものをそのままの形で導入することはありえない、ということもあっただろう。こういった経緯で形意拳の素手技法が完成すると、今度はこれを破る技として八卦掌を作った、当然国家の最高機密であった。(完)