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武術の稽古方法-宮本武蔵と新陰流兵法-5

このように懸待表裏の練習法が体系付けられ、眼・意・体・手・足を敵に勝つよう、没個性的に千練万練出来るよう工夫されています。武蔵の教伝法は、随時に自由に教えるというものでした。なお、失伝した二天一流にも型はあったようですが、復元された型を見ても新陰流兵法ほどの体系ではありません。

新陰流兵法と同じように形稽古を主としている、大東流諸流派・合気道などの練習法と比べても新陰流兵法の体系が優れていることは、これまた明らかです。また、講道館柔道のように乱取を主体とする流派との違いは明らかでしょう。

したがって、武術の素養がない者であっても、新陰流兵法の教習階梯にそって稽古をすることで一定程度のレベルに到達することが出来るのです。今も昔も、誰でも武術的センスがあるわけではありませんから、このような教育システムがあれば、何とかなったのです。

一方、このような稽古階梯を踏んでいく方法は、段階を上がるときの判断が難しいのです。実力か年季か回数か、実力で判断というのが筋でしょうが、これが難しい。誰が見ても断トツの実力がある場合は、そもそも問題にならないでしょう。そうでない多くの修行者は五十歩百歩、そうすると年季や回数で判断ということにならざるを得ません。これが実態かと思われます。武蔵方式は理想かも知れませんが、武蔵という絶対的な判断基準があるから成り立つことであって、武蔵亡き後の歴史を見ても歴然としています。したがって、武蔵の説く道は、稽古階梯の中で応用していくのがよい、というのが筆者の感想です。(完)

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