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武田時宗・宗家独占インタビューについて13

武田惣角見聞記6
(承前)武田惣角が大東流中興の祖であるといわれても、所詮はアルプスの高嶺のように孤高な存在であったかも知れない。往昔の剣豪である一刀流開祖伊東一刀斎は各地で試合をして歩き一刀流を開いたが、その晩年も道場を持たず近隣の諸国を武者修行して歩いたといわれた。惣角も同じく老軀を駆って、その一生を道場を持たずに武者修行と称して全国各地を歩いた。戦前とは言え昭和15年代に誰彼の区別なく、次の言葉を口にしていた人間像に、一般の人にはどうしても理解が出来なかったことであろう。
「武人は戦場でたおれるのを本懐とする。わしは武道家だ、武道のためにどこで客死するとも本懐だ。自宅の畳の上で死ぬのは恥辱である。」
また、その日常の行動と生活が、身の処し方そのものが術の心得であり、その一予手・一技足が武技として附着していた。これでは一般の常識では奇異に見えたのも当然であったかも知れない。
惣角の晩年の年譜が、この言葉がうそ偽りのつもりでなかったことを示している。

昭和16年2月 惣角高血圧症のため倒れ半身不随に、その後各地の温泉で転地療養する。

昭和17年 惣角全快せず、右手が不自由に。出張指導を止めるも聞かず、上白滝足寄滝川にて佐々木兵庫(剣道五段)らに指導する。この年山本留吉(後に角義と号す)に教授代理を許す。(続)

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