合気柔術の技法19
免許皆伝の伝書を出す時、惣角は「士族久琢磨と書け」と要求した。久が「私の家は士族ではないから」というと、「士族でないと、皆伝は出せないから」といって、「士族久琢磨に対し」出したという。この惣角のやり方は、柔術が終わらなくては「合気柔術」の印可は出せないと言っていることになる。
大正11年に惣角が教えた技は次のとおりであった。
第1~4か条までの序の形、第1~5か条までの破の形。本来の体系的は、第1~5か条まで序破急の三段階となっている。この技法分類は新陰流兵法から来ている。盛平が昭和6年以降、下條小三郎のもとで新陰流を習ったのも、大正11年に惣角から習った合気柔術の技法が新陰流兵法と関係があると知ったからであった。
惣角は、最初「大東流柔術本部長」の看板で指導していていたが、大正11年9月以降は「大東流合気柔術総務長」の肩書となった。御信用之手の記載がある伝書には「柔術本部長」名義のものも「合気柔術総務長」のものもある。伝書から技法体系を推測する人たちもいるが、混乱するだけでその真の姿は見えない(隠されている)のである。時宗氏が主張する合気柔術と久琢磨の合気柔術は、全く違う性質・性格の技法なのである。このことは、強調しておく必要がある。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?