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お陰で受けた朝日の光-合気道2

(承前)その夏、幸いに尊敬していた石井光次郎先輩のお引き立てを受け、東京朝日新聞社に入社、印刷局庶務課長となり工場従業員の勤労厚生部門を担当した。昭和3年3月皇室の久宮内親王殿下ご逝去に際し、校正係のミスで皇室記事筆禍事件となった。政友会院外団と右翼が本社に押し掛け、短銃で守衛をおどかし、工場に乱入、輪転機に金剛砂を振りかけて印刷を妨害する騒ぎとなった。私は石井局長の特命で庶務部長に代わって防衛に努めた。やがて暴力団は退散し事件は治まった。(続)
補足説明:久宮内親王殿下とは、昭和天皇の第二皇女子祐子(さちこ)内親王のことで生後直後に薨去(ごうきょ)されました。石井光次郎とは、神戸商高相撲部の先輩にして、後に諸大臣・衆議院議長など歴任した政治家として有名な方です。当時(同氏36歳)は東京朝日新聞社の業務局長を務めていました。久琢磨は、印刷局庶務主任として迎えられ、2年余で庶務課長、翌年には次長に昇進しています。ところで、久は神戸商高相撲部のキャプテンとして活躍し、学生相撲第1回団体戦(大正8年)において同校を優勝に導いています。就職後も同校の相撲部の指導を行なっていました。その実力と胆力を見込まれて防衛隊長を任されたのでしょう。(続)

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