合気柔術のはじまり4
ここで、気合・合気について触れておこう。
一刀流中西派の高野佐三郎先生は、その著書『剣道(大正4(1915)年』において、次のように説いている。
「気合の妙旨は、精神(自覚現象)を錬磨してからでなければ会得できない。精神の錬磨こそは実に気合の基礎と言うべきものである。気合こそは気と気を合するもので、これは精神力と精神力との戦いにして、気をもって気を撃つことである。」
「(合気について)敵強く来たれば弱く応じ、弱く出ずれば強く対し、青眼にて来たれば下段にして拳の下、上り攻め、下段に来たれば青眼にて上より太刀を押さえる、というように合気を外して闘うを肝要とす。」
天神新楊流柔術では「我と敵とが、一体一気になるを合気といい、これも宜しくない。敵の変動の気に付け入るを合気の先という」とあり技法では「合気を外せ」という。
天保年間発行の関口流柔術の古伝書は「気合之事」「合気之事」が既述されているが、いずれにしても気合・合気について、これを分離させあたかも、それぞれ専門の分野があるがごとく、考えているのは施行研究が浅い人たちである。「やわら」の古法では気合法・合気法は練習錬磨上、当たり前の基礎用語として使用されていたものである。
この点、大日本武徳会が制定した「合気道」の論理展開、すなわち・・・
「やわら」の全分野を包括して各武術諸流派に共通する口伝用語として気合・合気を選び、気合については柔剣道でも使われる言葉としてこれを避け、合気の方を用いた、ことは納得が出来る。