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土方二百人と惣角一人の大喧嘩7

急を聞いて馬で駆けつけた警察官や県の土木担当役人が危機一髪を救出してくれた。この時、惣角が博徒に暴殺されていたなら、今日の合気武道の隆盛を見ることが出来なかった。歴史は一夜にして変わるといわれる。合気武道というものが武田惣角という人間を通じて世に普及されることになるとは、この時立ち合った警察官や県の役人も知るよしもなかった。

武道史の中に合気武道という一頁を開いた惣角の偉業を見るにつけ、人の一生・命は大切にすべきである、とつくづく私(鶴山先生)は思わざるを得なかった。

この土方や博徒たちとの乱闘事件で、惣角に斬り殺された博徒は数人いたが、彼らのいずれもが脇差や仕込杖の凶器を持ち、浪人あがりの用心棒もいた。負傷者も相当多数あって、惣角も全身返り血をあびており、囲みから解放されたとき、刀の柄が血のりですっかり固まってしまい、指を一本一本外してもらわなくては、刀を手から離すことが出来なかった。

その後、福島の役所において、数ヶ月にわたり取り調べられた。「たこ部屋」組の国道工事の土工夫たちは、戊辰戦争で敗れた賊軍被占領下における官軍の直轄下請人であるとの個人的な優越感から、婦女暴行・金銭強奪・無銭飲食など日ごろのお目こぼしをいいことに、やりたい放題であった。
また、殺された者全員が凶器を持った前科者で俗に言う凶状持(殺し屋)と呼ばれる者であったことが、実地検証の結果証明された。

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