合気道界の将来はどうなるのか?(上)
鶴山先生は昭和58(1983)年、当時の合気道界の現状を分析したメモを残しています。
戦後派もそれぞれ次の世代を担うのは誰か、どんなスタイルで、どんな内容を持つ者が天下を取るかの模索術策を始めている。「天下布武」の天下取りには次の要件がいる。
①指導者としての能力はあるのか、
②組織力はあるのか、
③部下に人材はいるのか、
④理論をもっているか、
④について補足すると、家康は、信長、秀吉による武の支配の失敗をみて、大義名分、生活向上を儒教に求め理論武装して天下を支配することができたのである。
合気道の指導能力
合気道の師範で道場を持っている者なら、誰でも指導者としての能力は備わっている。しかし、それが大勢の人に対する指導能力があるかが問題になる。この点、一般的実情からすると、出版物が多い人程有利となる。現在、合気道関係書が多い人は藤平光一で、柔道・合気道の関係では富木謙治である。一方出版社の数では植芝吉祥丸が多い、塩田剛三は3冊、望月稔は2冊だが私家版もあり知られていない。一部の専門家しかしらない齊籐守弘がアルス(今はない出版社)から3冊の写真版を出し、説明は何もないが写真分析なので、岩間道場には外人が多い、最も1年間で初段にするというキャッチフレーズが外人には向いているようである。最近では砂泊誠秀が2冊の本を出していて植芝本部に迫っている。
以上述べた人たちの指導力は師範としては五分五分と見るべきである。
合気道の組織について
組織力という点については、植芝本部が一番だが、講道館と同じで先発組で、合気道は植芝盛平が創設したとの宣伝が周知されていることから、植芝本部の実力というより、盛平の威を借りているといえる。それでも盛平が死んだ昭和44(1969)年までは、藤平光一が師範部長として宣伝にこれ務めたものであるから、現在の地盤の過半数は藤平光一あってのものである。
今後、合気道の実体(歴史等)が明らかになって、その組織を維持できるかが課題であろう。
さて、藤平光一に非凡な組織力があることは、気の研究会を組織したこと、海外第一位の組織を作り上げたことから明らかである。
砂泊誠秀が九州を制覇したが、これは植芝本部時代の九州支部長としての地盤をそのまま引き継いだのであって、出版を機に植芝本部に迫ることができるかが見どころである。
富木システムは富木謙治の死によって分裂したし、塩田剛三、望月稔とも現在以上の大きな組織を作り上げることはあり得ない。