捨てるということ
物も知識も貯まってくると整理がつかなくなります。
物の場合は目に見えていて、物理的なスペースも限られていることから、何かしらの時点で整理しよう・捨てよう、と思います。そのとおり実行できるかどうかは、別の問題として残りますが・・・
知識も勉強や研究をすればするほど増加しますが、個人差はあるにせよ、その容量には物の場合と同じように限界があります。知識を詰め込み過ぎても収拾がつかなくなります。例えば、その道一筋何十年の人がなかなかいい本が書けないのに、途中参戦の人が分かりやすい本を出してしまう。後者は整理する・捨て去ることができた、と言えるでしょう。
大東流でいうと、整理し・捨てた代表が植芝盛平、そうしなかった久琢磨ほか、と言えます。
久琢磨は皆伝者でしたから捨てる訳にはいきません。そのかわり大東流合氣武道傳書全十一巻目録など整理しました。久自身の価値観によってふるいにかけ一定程度とりまとまたのです。
一方、盛平は武田惣角から大正4年2月に大東流柔術1か条30本、大正11年3~9月には合気柔術、その後、昭和6年には合気柔術御信用之手84か条のなどの教伝を受け、これを基に戦前は皇武館ほかで主に合気柔術を指導していました、この間の記録の一つである竹下ノート「乾」「坤」には重複する技も多くありますがそれでも2,700手余りの技が掲載されていて、いろいろなことをやっていたことがわかります。ところが、盛平は柔術を捨て合気柔術を整理し簡素化して10本程度にまとめ植芝合気道としてとりまとめたのです。
合気会が組織として発展拡大するには、盛平のカリスマ性の他に吉祥丸の経営手腕も欠かせませんでしたが、合気道を簡素化・様式化・シンプルな構成とすることで、集団指導、大衆化が可能となり、これを広く普及させることに成功したのです。柔道や空手もほぼ同様の方法で大衆化し誰でも知るものになりました。
他方、捨てなかった系統は、基本個人指導の域を出ませんから、合気道に比べれば無名で広く普及することは難しかったのです。
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