
正座-静座-座禅(下)
すなわち、正座とは正しい姿勢を現わし、静座とは心身を静かに落ち着けることで、座禅(坐禅)はそれより一歩進めて精神を高めることにつなげる修行法である。禅家では、結跏趺座(けっかふざ)し、体躯を真っ直ぐにして右掌を左掌の上に安置し、拇指と拇指を相接し眼を半眼に開いて行うと説明している。
この禅家でいう結跏趺座とは何かというと、「跏」は足の裏のことであり「趺」は足の表(甲)のことで、左の股の付け根に右の足の甲を、右の股の付け根に左の足の甲を付けて、足の裏が上に向くように組むのである。すなわち、両足の表裏を結ぶ坐相のことである。
そして、この結跏趺座による精神統一は、心で思っていることや意識的なことが払拭される。つまり、妄想や雑念の塵が払われ、純一無雑な明鏡止水の心境に至る努力と工夫がなされることになる。結跏趺座を長いことやることによって、意識が一点に集中した一念一想からやがて無念無想の境地に進むことになる。更に進むと、静かに澄み切った水面に力が投じられるように、爆発的にこれまでの意識の集中が転化し、当事者の心にまだ経験したことがない新しい領域が開けていく。この心境を別の表現にすれば、相対的意識または対照的論理の世界を突き破り、今まで気づかなかった境地が自覚されてくる。
この結跏趺座による体験は、神秘現象の一つである。このように座禅によって、人間が抱く煩悩や我執の繋縛(けいばく・けばく)から開放され、今までの迷妄や苦悩は消え喜悦と希望に満ちた自由で創造的な、平和で清浄な心境が力強く開けてくるのである。
「痛いになりきれば、痛さはない」と禅宗では教えている。