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四方投8

(承前)ところで、密教の歴史を見ると、宇宙の真理を知った釈迦の教えを広めるための教団が大きくなるにつれ、現世利益を願う様々な呪術的な要素が組み込まれ雑然とした未整備の密教として広まったこれを雑密(ぞうみつ:雑部密教)という。これが体系的に整備され純密(じゅんみつ:純粋密教)が誕生する。その成果が、後述する「大日経」と「金剛頂経」の根本経典である。

大東流では、柔術が雑密に当たる。柔術諸流派の技法を寄せ集めたものだからである。実際の柔術はこれを一定程度純化させ108本にまとめ、まとめきれなかったものを乾之巻に再整理(これも純化)している。寄せ集めの技法群を体系的に理論づける過程が大東流技法としての純化であった。四方の位を重視する会津藩の目的意識と密教思想をドッキングさせ、さらに形而上的に純化させたのである。
 
密教では、森羅万象・全宇宙のすべての活動を大日如来の顕現と考え、これを二つの観点から表わしている。その根本経典は「大日経」と「金剛頂経」である、これらは言葉で表現されているが、そこには限界があることから、かりに図画を以て密教の世界を示したものが両部曼荼羅である。両部曼荼羅とは、大日如来の理法身の側面を描いた胎蔵曼荼羅と智法身の側面を描いた金剛界曼荼羅である。すなわち、胎蔵とは理であり、金剛とは智である。「理智相離れず、理より智起こり、智より大悲起こる(慈悲深い心を持つことが出来る)」と空海は記している。これを大東流では陰と陽として技法を分類、整理している。(続)

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