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老中の仕事と心得

鶴山先生による合気柔術中伝以降の説明です。

江戸柳生の躰之術は、陰陽虚実表裏一体が具現化された技法群である。
老中は平均年齢40歳以上であった。仕事は現在の裁判官(高裁)と同じである。裁判官は学校の友人や弁護士などと付き合ってはいけないのである。人間であるから人情や情実が入っては正義の判定が出来なくなるからである。判決はすべて朱子学に則した判定が必要で幾つものチェックシステムがあった。将軍までの道は、老中から御三家に行き、次の間を経て将軍の裁定を受ける。老中は目付を使い情報を集める。必要に応じてお抱えの学者(顧問)のアドバイスを受けて裁決する。
ともかく現代人のように徳川武士の中では、一番の頭脳労働者であったのが、若年寄・老中だったのである。更に老中になると個室があり、その中でナーバスを克服する強い精神力が必要とされた。
殿中躰術は、これら激務による首・肩・背中のコリを軟らかくするための技となっているのが特徴である。これが合気柔術の中伝ヨガ技法と奥伝の蜘蛛之巣伝なのである。これらは居取から入るのが基本(皆伝技法)である。ヨガ技法は仏教の一部として日本に入ってきたヨギを技に取り入れた技法である。なお、座り技のことを小野派系技法(柔術)では居捕といい、江戸柳生系(合気柔術)では居取と書くが、捕も取も字義は同じだが、格式で「捕」より取締役の「取」の方が階級的に上であるとしているのである。
秘伝は暗殺術であるが、これは暗殺する方法を教えるのでなく、油断をするなという教えである。老中は個室で執務し、その際お茶も飲むわけで、女人禁制の江戸城内では、お茶を入れるのは付き人(御用人)か茶坊主の役割である。個室の中の密室殺人、老中は年齢的に卒中でも何でも通用する。当時の病気診断では、暗殺かどうかの判定は出来なかったので、暗殺術を知ることは重要だったのである。
技法としては、仕手側が茶坊主等の攻撃(両手取など)を封じ、奥伝まで固め、口伝で終わるのである。すなわち、技としては、見かけ上暗殺術を教えていることになっているのである。

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