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大東流-武芸流派大事典3

武芸流派大事典は、綿谷氏の新版あとがきによると、「当初、私の『日本武芸小伝』の巻末に付けた武芸流派総覧から発芽してこれを一巻の辞書に増幅する決心をしたとき、初めて山田忠史(ただちか)君の援助を求め、同君との共編の形で、内容選択と全文作稿を私個人の手で編成したのが最初に出来た『武芸流派辞典(昭和38年3月人物往来社)』ですが、その内容の増補と訂正のために識者の教示を求め(中略)A5版に改版した厖大な『武芸流派大事典(旧版)』が新人物往来社から出版されたのです。」とあります。

鶴山先生は昭和35年に産経道場で植芝合気道を学び始め、昭和39年には大阪の久琢磨を訪ね、翌40年には武田時宗氏を東京に招聘しています。そして研究・研さんを重ね昭和46年に「図解コーチ合気道」を発行しています。
なお、この時は皆伝ではなかったので、第一人者を時宗氏とした系譜を採用しています。その後、昭和52年に久琢磨から皆伝を受け大東流の真実を知らされたのでした。鶴山先生は久先生との約束に配慮した表現で武芸流派大事典用の資料を提供したのでした。大東流三大技法の全容が公開されるのは昭和58年の「護身杖道」において、でした。
この改訂において編者は旧版との整合性を意識してか、時宗氏に配慮したためか、(付記)として時宗氏サイドの情報も載せています。note記事をご覧の皆様にとっては、旧版や(付記)の中身が荒唐無稽なものであることは自明のことでしょう。しかしながら、未だこの伝説は、伝説だからこそ、一部の方たちには信じられているようです。

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