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槍と合気道30
関野氏の質疑事項である「槍と合気道」に答えるためには、合気道の源流である大東流に対槍術技法はあるのか?に答えなければならない。それには、まず基本理念として「槍術一般論に対する認識」を持っていただく必要がある。槍そのものは徳川時代以前の戦国武法である。一方、大東流技法は江戸中期以後のものといってよい。ここに基本的な相違がある。
徳川時代以前、サムライの表芸(陽流)は弓・馬・槍の三大技法であった。徳川幕藩体制が固まってくると、これら表芸に練達した者を多く抱えることは、徳川幕府に対する謀反の志しありと疑いを受ける恐れがあり、各藩においては裏芸(陰流)なるものが重要視・必要とされるようになった。
この裏芸の最大の見本となったのが、幕府お墨付きの新陰流兵法であった。サムライ本来の武法であり、攻撃的殺傷力の高い弓・馬・槍の武法(刀法に対し絶対的に強い)に対し、自己を守ることを目的とする護身刀としての兵法、刀法に対する護身法としての無刀取、これらを実技と思想で示したのが新陰流兵法であったからだ。徳川幕藩体制の地盤強化の理論として、殺人刀・活人剣・無刀の位が用いられ、新時代の表芸たる新武法理論を体現しているのが江戸柳生であったからである。