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武田時宗・宗家独占インタビューについて14

武田惣角見聞記7
(承前)
昭和17年9月20日 小松旅館、渡辺金太郎方にて再び倒れる。早速、白滝の自宅まで連れ戻し、療養を勧めるも家人の話を聞かず「武人は云々…(武田惣角見聞記6に引用)」の言葉を残して、10月30日家人の留守中に家出した。
その後、夕張市で指導す。剣道錬士上山幸七
浦河町(えりも岬近郊)にて指導す。小池久造

昭和17年10月 家を出てから行方不明。半身不自由にて旅行中のため、家人は心配ひとかたならず、諸処方々に問い合わせるも行き先不明

昭和18年2月 室蘭警察署にて柔道高段者を投げ飛ばしているところを写真付きで大きく扱った北海道新聞の記事が出た。「80余歳の老人 柔道六段を投げ飛ばす!」これを見て急ぎ室蘭に行くも、既に出立した後で、その後の行き先はまたもや不明。

昭和18年4月25日 青森市浪打町伊藤旅館にて伝道途中(惣角は武者修行と称していた)客死す。84歳であった。

仁寿院大東武寛居士 武田惣角源正義 網走市 曹洞宗法龍寺に納骨
近代、奇人の姿を求めようとするなれば、この惣角武者修行の遍歴が示す生涯は好個の種となるであろう。(続)

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