武道の極意・秘伝集6
「不動心」天神真楊流より
不動心とは動かない心である。心正明にして惣身へ気満ち渡りて、白剣を目で見ても、心で見ず、あるいは大筒(大砲)の音を耳に聞いても心に聞かずして、物ごとに最終的に動かない心である。これを大丈夫という。この大丈夫の動かざる心にて、この心を動かして千変万化の技を自在にする時は、幾千万の大敵といえども、最終的に動かない心をさして不動心の位というのである。(*)
動かずして動く、右よく連続したるところを要とするのである。
古の修行者は、乱国の時代であったから、生まれながらにして太刀の音を聞きながら、白剣をもって勝負するのが常であった。この時代は、腹の修行のため、野に伏し、山に伏し、あるいは人が行かないところに行き、物に動じないようもっぱら修行をするがゆえに、自然に不動心に至るのである。当世の修行は、体に術があっても、腹に術がない。よくよくここの所を考えて、不動心に至ることを専一に工夫して修行すべきである。
補足説明:『護身杖道』は(*)まで、以下、本項目の全文を補足しました。出典は『天神真楊流柔術大意録』で、これは流祖磯又右衛門正足とその高弟との問答形式で流旨を説いたものです。本項目は14番目で「不動心とはいかなる心でしょうか?」との問いに答えたものです。