二十七箇條截相のこと(急)
ところで、厳春の高弟にして尾張柳生中興之祖といわれる長岡桃嶺房成は、「切合二十七箇條」を著述しています。岳邑二著「転之書」に「これら(二十七箇條截相)を全く伝えない時には、後世、各勢法の体得・理解に支障が生じると懸念し、それまでの口伝を参考に復元。『諸太刀の骨を簡明に体得する利がある』とその意義を記す(口伝書外伝)」とあります。
房成は、「切合二十七箇條」の中で、破之太刀「皆試合勢法の外伝に詳らかにす。」 急之太刀「予が試合勢法の内に挙ぐるものと同じ」と書き、尾張柳生家では公式には稽古できない切合二十七箇條の内容を試合勢法として、稽古できるよう工夫したのでした。しかしながら、試合勢法も形ですから、前述の課題が内包されることになるわけです。ここは、やはり勝口としての二十七箇條截相を学ぶ価値は大きいのです。そして、上泉伊勢守がどんな勝口を選択したのかを知ること、その核心を理解することで、古式の使い方=介者剣術=本伝が理解できるのです。このためには、原典である二十七箇條截相を参照する他ないのです。(完)
(参考)二十七箇條截相とは、どのような太刀群なのか? YouTubeに動画(タイトル「新陰流 二十七箇条截相 190608」)がアップされていますから、興味がある方は検索してみてください。ある程度イメージできると思います。