見出し画像

無刀の位2

「剣が争いのために用いられてはならない」と考えた人こそ上泉伊勢守秀綱であった。伊勢守が新陰流兵法の流祖としてではなく、我が国の剣聖の祖であるとまで仰ぎ崇められている理由がここにある。
伊勢守は戦国乱世の中で体認によりそのむなしさを悟り、今でいう教育武道の基本的な理念を打ち立てたのであった。そして柳生宗厳に無刀取りのヒントを与えその完成を託したのである。宗厳も師の意向を受け、これを究極、剣禅一致の域まで完成させたのである。この師にしてこの弟子あり、「万法は無に体するぞ 兵法も無刀の心 奥義なりけり」と歌い剣の目的意識を一層高めた。更に、柳生剣法においては、技は枝葉末法の問題である、とし無刀に活かされる精神が根底であるとまでいっている。

幕末の剣聖といわれた山岡鉄舟は一刀流の達人であるが、彼はその書『無刀流剣術大意』の中で「無刀とな何ぞや、心の外に刀なきなり、敵と相対する時、刀に依らずして心で打つ」と書いている。鉄舟は殺伐とした幕末期における剣術の達人でありながら、人を一人も斬ったことがない。この無刀の境地こそは、武道の心法として深く賞賛を受けて迎えられるべきもので、鉄舟を去ること二百五十年以前に、これと同じ剣術の極意が確立されていたことを考えるにつき、教育武道の創業は歴史的に見て新陰流兵法であったことがよくわかる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?