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沢庵和尚30

「間に髪を容れず」のこと
これは、一般的には、「何か事が起こった時すかさず、それに応じた行動に出るさまをいう。」使われ方をするようだ。しかし、ここでは、間(かん)とは物を二つ重ね合わせた間のことで、そこに髪の毛一筋も入らない事、隙間のない事をいうのである。貴殿の兵法に例えていえば・・・
敵が打ち込んで来る太刀に心が止まれば、間(隙)が出来る。その間(隙)に我が働きが抜けてしまうのである。敵の打つ太刀と我が働きとの間が髪一筋も入らない程であれば、敵の太刀は我が太刀となるのである。禅の問答にもこの心得があるのである。仏法では、この一ところに心を定着させる事を嫌うのである。故に、止まる事を煩悩と云うのである。激しく流れている早川へ玉を流す様に、心を止めずどっと流れて少しも止まる事の無い心を尊ぶのである。
石火の機」のこと
石火の機と云う事がある。これは前の「間に髪を容れず」の心持と同じである。石をハタと打つや否やその瞬間に光が出る。打つとそのまま火が出るということは、石を打つことと火が出る事の間に隙間がない事である。
西行の詠んだ「世をいとふ 人とし聞けは かりの宿に 心止むなと 思ふはかりぞ」という歌の下句「心止むなと 思ふはかりぞ」が兵法の至極にあたる。止まらない心を尊ぶのである。

補足説明:不動智神妙録では、この後、禅問答の例を出し、問いに対する答えの反応速度が重要なのではなく、心を止めずに答える事が重要と説いています。我々の武術でいえば、体捌きや施技に際し、速い事を求めるわけではない、と同じことだと思います。もちろん、ある程度の速さも重要ですが・・・。
迷いなく動く、意識をどこにも止めておかない事が重要とされます。しかしながら、これは大変難しいことです。意識しないで反応せよ、技を掛けよ、など最初から出来るはずもありません。そこで、いろいろな入身・転身法、相手の動きに応じた様々な対応法を稽古によって覚え込ませる事が大切です。ある程度パターン化された体捌きや技を豊富にもっていることで、自在な自動再生が可能になるのです。

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