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鶴山先生の武道研究法

鶴山先生は昭和35年に有楽町にあった産経道場で植芝合気道を習いました。当時33歳、合気道との出会いでした。それまで、10代には剣道や柔剣術、大学時代はボクシング、その後、中山正敏(松濤館流)の空手、新道夢想流杖術の清水隆次に入門しています。

合気道から大東流の研究を始めたころ、昭和42年の電電公社の社内誌「電信電話」において、電電東京合気杖道部が紹介され、鶴山先生の武道に対する考え方が語られています。「私は、日本の古武道の原型にもどって、そこから新しい武道を作りたいということと、日本古武道ばかりでなく、その中には中国拳法、例えば、太極拳法なども、どんどん取り入れて研究している。だから、われわれのサークルは、そういう意味でも“武道研究グループ”と呼んでもらった方が適当だと思いますね。」

実際、久琢磨からも示唆のあった中国拳法を佐藤金兵衛から学び、その師、張一中からも学んでいます。これは後に「中国拳法」という著作に結実します。

さて、鶴山先生の武道の研究方法は、考古学的手法といってよい独自のものでした。当時の社会・文化・生活や歴史などの時代背景を古書・出版物・関係資料から、また武道の先達から直接指導や質疑応答による方法で総合的に整理・分析・研究を行い実践するという方法です。ただ、技を教わる、とは全く違うレベルでした。その研究成果(過程)は、電電東京合気杖道部の会報に掲載され、後に「図解コーチ合気道」や「護身杖道」に取りまとめられ出版されました。本noteに連載できるのも先生の厖大な資料が残されていたからです。また、先生は常々出版物や公表資料は、「古いものだ」と語っていました。日々研究を続ける先生からみると、今が最新であって、研究や実践に完成はない、ということです。

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