岡本正剛著「大東流合気柔術」出版秘話5
(承前)ところで、昭和47(1972)年10月14日に実施された大東流幸道会洞爺湖温泉支部の演武大会のパンフレットには幸道会本部長免許皆伝堀川幸道と記載されており、堀川幸道は大東流免許皆伝と称していたのです。この皆伝書も武田時宗が惣角の名と印を使って発行したものでした。鶴山先生がこの点を質したところ時宗氏は「そういった事情(皆伝者は一人だけ)を知らなかったもので・・・」「堀川幸道氏は、実力はともかく親子3代にわたって大東流を宣揚してきておられるので、皆伝を出しました。」と語ったそうです。時宗氏はいろいろな事情があったにせよ、佐川幸義、堀川幸道氏に惣角の名義で免許皆伝を作成するという禁じ手を打ったのでした。
では、旦那芸について解説いたしましょう。鶴山先生の語り口からすると旦那芸(宴会用の隠し芸、奇術、ドジョウすくいなどに相当する、としています。)を揶揄しているようにしか思えませんが、その実体は・・・
①惣角直伝の技であること、
②柔術系合気柔術の秘伝に位置づけられていること、
③素人にもわかるエッセンスとして整理されていること から、実は優れた技法なのです。人に誇れる内容でないから秘伝としたとの意見もありますが、大東流柔術自体が秘伝ですから、この論法は通じません。
旦那芸(いわゆる金許しの武芸)とは、旦那衆=その多くは武術の基礎を知らない素人衆で、町の有力者(金持ち)を10人程度集め、10日間の教伝で謝礼金10円(昭和初期で約4万円)/人の条件(柔術の講習も同じ)で「会津藩に伝わる武田家代々の秘伝技」と称して教伝したのです。
さて、素人がその場ですぐにできる技、これは術理そのものです。実用出来るかどうかは別として、中高年の旦那衆は夢中になったのです。これを実際に体得するのは難しいことですが、技の真意に気づく慧眼の方も多くいたことでしょう。旦那芸と称する秘伝は柔術系合気柔術の秘伝技ですが、技法そのものは合気之術とよく似た(実質的に同じ)ものも多くあり、見た目の区別(技のコンセプトはともかく)は付け難いのです。だからこそ鶴山先生はお気に召さなかったのでしょう。実際、鶴山先生は「久琢磨の技と堀川幸道の技に似ているものがある。」とのメモを残しています。しかしながら、これは当然のことです。大東流柔術は当時の諸流派柔術の極意を抽出し再構成したものですから、術理はすべて大東流柔術に内包されているといって過言ではありません。そうすると最終的な(極意技)は同じようなものに見えてくるのです。
柔術という本当の基礎をほとんど知らなかった堀川先生があのレベルに達していた、いかにすごい先生であったかは自明のことでしょう。その弟子であった岡本正剛先生も同様です。応用から基礎を知ることはまず不可能としたものです。そのような中、やはり一時代を築き多くの弟子を残した功績は素晴らしいものと思います。