武田惣角先生直伝 大東流合氣柔術總傳のことⅡ
大東流合気武道伝書全11巻について
久は、「現在ある写真資料は、教えてもらったものを忘れてしまうので、守衛室でその日習ったものを写真にした。新聞社だったから写真が撮れた。」「この写真集は終戦時、本土決戦で空襲、もろこの技法が無くなってはと思い本を出すよう内容を整理して出版を依頼した。終戦後この出版社の社長が訪ねて来て、工場が焼けて出版が出来なかったことを詫びてきた。しかし、写真だけは大切なものとして田舎に疎開させていたので、助かったと持ってきてくれた。すっかりあきらめていたものなので、道統が絶えることがない、天の配材と感謝したものである。これを天人地に分類した。君(鶴山先生)にあげる。」と語っています。また、鶴山先生が、「本にするために座り技、半座半立、立ち技と区別し整理したものなので、大東流合気柔術の真の体系は分からなくなっているのではないか。」と聞いたところ、
久「君の言うとおり、本当はどうなっているのか、この教本では分からなくなってしまった。君のような質問をした者がいないので、この本は初心者にも分かるように、こういう技もあった、こういう技もある。大東流の体系は皆伝の時に解釈総伝に上がる口伝のみで、具体的な技の配分はこの教本では配慮していない。」と答えたそうです。
なお、久が昭和52年11月3日(久の誕生日)鶴山先生に免許皆伝を許した際の口伝では、「大東流合氣武道傳書全十一巻目録(7~9巻)の技は、奥伝までのものであって、秘伝は次のようになる・・・(具体的技法)」とあります。
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