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久琢磨 皆伝秘話

久琢磨は、昭和14年3月26日に武田惣角から皆伝を受けました。
鶴山先生のメモによると、
 惣角「皆伝は士族でなければ出せないから、士族と入れてくれ。」
 琢磨「私は漁師の倅なので、士族ではない。」
 惣角「良いから、士族と書き入れるように」
 琢磨「武田先生に、士族にしてもらった。」
とのやりとりがあったそうです。

久琢磨皆伝(縮小写真)

また、写真の皆伝書は紛失してしまいましたが、これについては、
 琢磨「皆伝書は金庫に入れてあった。誰かが貸してくれと持ち出しそのま
    ま返して来なかった。確か関西合気会の田中某と思う。」
とのことでした。

大東流は、江戸時代の世襲制を前提に技法別にその対象者、又習える範囲等が厳格に決められていましたから、その口伝と指示を守りたかった武田惣角は自分なりに、対象者と教える範囲を決めていました、そのこだわりから上記のやりとりがあったのです。

ところで、鶴山先生も久琢磨からの皆伝を受けていますが、その皆伝書がやはりないのです。これについては、次の事実がわかっています。
昭和52年10月22日付けの鶴山先生宛の封筒に久琢磨が「金箔の立派な免許皆伝書を作って送りましょうか」と記載してあります。(先生は、この提案を断ったらしいのです。もったいないことでした。)

久琢磨が授けられた皆伝書は次のとおりです。

大東流合気柔術皆伝之事
百拾八ケ条裏表 合気之術裏表五拾参ケ条 秘伝奥義参拾ケ条裏表 大東流秘伝二刀流 御信用之手八拾四ケ条裏表 解釈総伝之事四百七拾七
皆伝之事八拾八ケ条
大東流合気柔術皆伝之事 熱心稽古不浅稽古 無懈怠勝利之働依有之 今般本目録相伝候 不変心切磋琢磨之上必勝之術可被相叶候依仍如件
清和天皇 第六皇子 貞純親王
御長子経基 御長子満仲
第五子新羅三郎 義満 於甲斐大東流
長子武田義清 長孫 武田信義
長子武田信光 長子武田信重
十余世武田信満 長子武田国継
十余世武田惣右衛門 孫子武田惣角源正義
大東流合気柔術総務長 武田惣角源正義
昭和十四年三月吉日
大阪朝日新聞社庶務部長
高知県士族 久琢磨 殿

参考 清和天皇以降の系譜については、明治43年に発行した大東流柔術秘傳目録及び大正5年の秘傳奥儀之事の系譜と少し違っています、おそらく惣角の記憶違いでしょう。

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