再び柳生流躰術について7-柳生十兵衛三厳-
補足説明:十兵衛杖は「新陰流仕込杖遣様目録口伝書」が伝わり5か条からなります。大和国柳生庄を治める柳生家譜代の家臣であった荘田(しょうだ)家の末裔が伝えていたものを柳生厳周・厳長親子が受け継ぎ現在に伝わっています。
十兵衛は、宗矩とは違った視点で新陰流兵法を整理し、著作として残しています。
1637年31歳のとき『飛衛(無題の論文の冒頭部分から便宜上の題名としたもの)』
1642年36歳のとき『月の抄』、1649年に『武蔵野』、この他年代は不詳ですが、『悒慣書』『朏聞集』『行川の流れ』『兵法目録』『当流の兵法』が現存しています。
一方、尾張柳生家では2代利厳が『始終不捨書(しじゅうふじゃしょ)』を1649年に連也厳包に相伝しています。利厳は石舟斎宗厳の教え=介者剣術を直立(つたっ)たる身の剣法に改変した人物です。現在の我々の視点からは、この改革は改悪の要素が強いものですが、当時は時代を先取りした兵法の大革新であったのでしょう。『始終不捨書』自体は1620年、仕官先尾張徳川家に進上しているとのことですから、宗矩・十兵衛存命のころから江戸と尾張の刀法には違いが生じていたのです。(完)
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