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大東流の三大技法9

「大東流」という名称は、西郷四郎を通じて大日本武徳会創設への動きなど東京の詳しかったことなどに影響され、四郎が関わった東邦運動は当時としては、最も新しい右翼運動であったことも関係している。

さて、編成当時名称がなかった大東流には、当然伝書もなかった。頼母は、溝口一刀流、大坪流柔術及び長沼流兵法の皆伝者であるから免許等のスタイルには通じていたことから、惣角のため(箔を付ける)に伝書を作成したのだ。惣角は、大東流技法をとりまとめた人達(ワーキンググループのリーダー)全員から実質稽古をつけてもらう、ということはなかった。その多くは文書(マニュアル)でこれを伝えられたようだ。惣角は字が読めないので、他の人に読んでもらい、これを覚えた。そのため後に、惣角から言葉は聞いて(ひりょくのようせい)も漢字がわからないことから、違う漢字が当てられるというようなことが起こった。また、この時、説明と実技が全く同じだと技を盗まれる可能性があることから、実技と説明を違えていることもあった。

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